「アンタなんて産まなきゃ良かった」
それが、お母さんの口癖です。わたしはお母さんが大好きだけど、この口癖はあまり好きではありません。
お母さんは、とても優しい人です。わたしが駄目な子だから、社会に出ても恥ずかしくないように躾けてくれます。何より、こんなわたしを今日まで育ててくれています。
だから、わたしが家事をするのも、バイトをして家にお金を入れるのも当然のことなのです。
みんなは、「それはおかしい」と言うけれど、わたしはおかしいなんて思いません。そんなことが言えるのは、みんなにはお父さんもお母さんもいるからです。
わたしにはお父さんがいません。わたしのせいで死にました。なので、わたしの家ではお父さんの話をめったにしません。お父さんの名前を出すと、お母さんは泣いてしまうのです。お母さんはわたしをよく殴るので痛いのには慣れました。でも、泣かれるとどうしていいのか分からなくなって、わたしも泣きたくなります。
でも、悪いのはわたしです。だから、わたしが泣くのはおかしいことなのです。
お母さんは、時々どこかへ行きます。たくさん字が書かれた手紙を置いて、どこかへ行きます。その字は下手くそで読めないのですが、きっと、わたしを心配する文が書かれているのでしょう。帰ってくると、お母さんはわたしをぶった後に抱きしめてくれます。きつく抱きしめてくれます。ぶたれた所が痛むけど、その時間、わたしは世界一幸福な子でした。
ある日、わたしはお母さんと久しぶりに遊びました。お母さんがお料理を教えてくれると言うので、台所に立つと、お母さんはわたしに包丁を向けました。お母さんは悪ふざけが好きなので、よくそういうことをするのです。
わたしは笑って、お母さんを突き飛ばしました。軽い力です、だって、遊びなんだから。本当です。けれど、お母さんはぐらりと倒れてしまいました。お母さんのお腹には、包丁が立っています。
「お母さん、大丈夫?」
お母さんは目を細めて、わたしを見ました。お母さんは何か言っていたけれど、それは聞こえませんでした。
お母さんは、お花に囲まれて目を閉じました。そして、ホコリよりも小さな灰と、両手に収まるほどの小さな小さな白い塊になりました。
わたしが悪い子だから、あの平穏は壊れてしまったのです。わたしが良い子だったら、お母さんも、ちっちゃな壺にならなかったのです。
わたしが壊したんです。
わたしは駄目な子です。
そんな悪い子のわたしを叱ってくれるお母さんも、もういません。
お題『平穏な日常』
3/11/2024, 12:14:55 PM