僕は、昔から、人と話すことが苦手だった。
僕は、昔から、忘れることが苦手だった。
僕は、昔から、騙すことが苦手だった。
僕は、昔から、何もかもが苦手だった。
僕にとって、人と話すといつことは、気力が大いに必要なことだった。
いや、正確に言うならば、いつの頃からか、とにかく気力がもっていかれるようになった。
きっかけは何だっただろう。
高校で仲のいい友達2人だけが同じになって、僕だけが違うクラスになってしまったことだろうか。
それとも、中学校になってから恋人に避けられて、関係が自然消滅してしまったことだろうか。
いや、小学生4年生で転校し、転校先で人見知りを自覚してしまったからだろうか。
これら全てが違うなら、おそらく、僕が自覚していなかっただけで、もともと人と話すということは、かなり気力を使うことだったのだと思う。
小学生の頃は、仲間にいれてほしい、と声を掛けられないタイプだった。
中学生の頃は、人前で立つと手足や声が震えて、汗が止まらなかった。
高校生の頃は、ペアワークにも関わらず、隣の人に無言の時間を提供してしまった。
ここまで来ると、僕もまずいと感じるようになった。
少しでもこの苦手を克服するために、僕は高校1年生の5月、バイト先に接客業であるコンビニを選んだ。
最初は声が小さく、元気がないような接客だったと思う。が、慣れてくると、段々とお客さんに笑いかけ、元気な声で接することが出来るようになってきた。
だが、これが出来るのはお客さんに対してのみだった。同じバイト先の先輩との雑談などは、1ミリも盛り上がらなかった。
しばらくして、先輩たちとも仲良くなれなきゃ意味が無いと思い立った。
そして、ネットの記事やまとめを読み漁り、「とにかく質問をする」というのを実行してみた。
結果としては、かなり会話が弾むようになった。
先輩と喋る時は常に汗が止まらなかったが、それでもなんとか雑談を成立させることが出来た。
相変わらず、人前では緊張して頭が真っ白になり、汗が止まらなかったが、手足や声の震えはなくなっていた。
多少なりとも、バイトのおかげで、人とのコミュニケーションのとり方は改善された。
しかし、高校最後のクラス替えで、僕は1人になってしまった。簡単に言うと、知り合いのいないクラスに入り込んでしまった。
よりにもよって、仲のいい2人だけは同じクラスになって喜んでいた。僕だけが違うクラス。
5分の休み時間や移動教室は常に一緒。ゆったりと歩きながら楽しそうにおしゃべりをしているその様子を、僕の手に入れることが出来なかったそれを見る度に、それから目を逸らして早足で目的の教室へ向かった。
僕は、家に帰って泣いた。
彼らが憎かった。
僕を置いてけぼりにしておきながら楽しそうに笑う2人が、夢の中にまで出てきて、その時、何故か持っていた包丁でズタズタに切り裂いてしまおうかと思った。
だが、それは叶わなかった。
腕を振り上げて包丁を彼らに向けるどころか、体が勝手に手の力を抜き、包丁を落としてしまった。
包丁はおそらく、僕の彼らへの憎しみの現れだったのだろう。
だが、僕はそれを捨ててしまった。
捨てることを僕の本能が選んだ。
分かっていたのだ。自分は、夢の中であっても彼らを傷つけることは出来ない。彼らは大切な友人で、こんな僕を友達だと言って、昼ご飯に誘ってくれる。
この憎しみは、僕の我儘にすぎない。
僕が、過剰に彼らに執着してしまっているという証明にすぎない。
だから僕は、1年間をひとりぼっちで過ごし、卒業アルバムは買わなかった。
ただ、残念な事に僕は、忘れることが苦手だった。
卒業アルバムを買わなかったのは、あのひとりぼっちの日々を忘れるためだった。
が、高校を卒業してから、僕は度々、辛い思い出や黒歴史を急に思い出すようになった。
あのスピーチ発表の時の僕は、手足や声が震えていて、さぞ滑稽だっただろうな。
あの時の僕は、今考えると強迫性障害を軽く患っていて死ぬほど手洗いしていたな。
あの体育の時の僕は、張り切りすぎて走っている時に思いっきり転んでいたな。
あの時の僕は、
あの時の、
あの、
フラッシュバックのように、その嫌な思い出が蘇るのはいつも突然だった。
その度に、恥ずかしくてこの世から消えたくなったり、胸が苦しくなったり、頭を強く打ち付けて記憶を消したくなったりした。
嫌な思い出ほど忘れられないもので、バイトや学校での失敗、幼稚園の頃のやらかしまで鮮明に蘇ってくる。
こんな症状が割と頻繁に起こったため、僕はかなり参ってしまった。
そんな時見ていたテレビで、催眠術を体験する、というコーナーを放送していた。
僕は、これだ!っと思った。
自分に催眠術、つまり暗示を掛けてしまえばいいのではないかと思った。
「この思い出の主人公は僕では無い」
という暗示(思い込み)を。
ただ、これがなかなか上手くいかなかった。
強く思い込んでみても、やはり完全にそのフラッシュバックを消すことは出来なかった。
だが、とにかくその記憶を忘れたフリをした。
さらに、その際、1度指パッチンをすることにしてみた。
何かしらの動作と関連付けることでパブロフの犬のような現象を起こせるのではないかと考えたためだ。
すると、3ヶ月ほどで記憶にモヤをかけられるようになった。
残念ながら、今でも完全に消し去ることは出来ない。
しかし、指パッチンをすると、「さっきまで何かを考えていたけれど、なんだっけ?」という感じになる。
もちろん、一時的に記憶にモヤをかけられるだけなので、段々と思い出してはきてしまう。
だが、こうして僕は、嫌な記憶のフラッシュバックを一時的に忘れることができるようになった。
ただ、僕は運が悪いようで、人を騙すことが苦手だったようだ。
これを自覚したのは最近のことだ。
人見知りをそれなりに改善し、忘れることも一時的にだが、可能としてきた。
しかし、1週間前、バイト先でボディタッチが多い子に大事にしているものを急に触られた時、怒りが湧き上がった。その子はそれなりに仲良くしている子だった。
その子の恋愛相談を受けるくらいには。
だが、とにかく腹が立ったのだ。
「とても気に入って買ったもので、汚れないように気をつけている」という話をしたばかりなのに、なぜ触ろうという気になるのか意味がわからなかった。
「ここふわふわだね。」といってそこを擦る指を反対に曲げたいような気持ちだった。
だが、そんな怒りを出さないように笑って誤魔化した。しかし、もうその子に対して、心の底から笑いかけることは出来ないな、と感じた。
今でも、怒りは収まらない。
そして、今日、保健室の先生に聞きたいことがあった。
保健室では、お悩み相談なども可能で、今回は別の用事だが、また今度にでも、1週間前のバイト先でのことについて話してみようかな、と考えていた。
僕は保健室の扉を3回ノックして、「はい」という返事が聞こえたから、部屋に入った。
すると、「今電話中だから、椅子に座って待っててください。」と言われた。
保健室の椅子は先生の目の前にしか無かった。
目の前に座るの嫌だなー立ってよーかなーと思いながら、少しづつ椅子に近づいていた。
「外の椅子に座って待っててくれる?今電話中だから。」
先程よりも大きな怒ったような声で先生が言った。
「あ、はい、すみません失礼しました」
と言って、僕は外の椅子にぽつんと座っていた。
そして、急に怒りが湧いてきた。
あの先生の感じは完全に怒っていた。が、電話中だから、外で待てなんて習ったことがない。
先生は最初、「椅子で待て」とは言ったが「外の椅子で待て」とは言っていない。
具体的に指示しなかったそちらが悪いのに、僕はなぜ軽く怒鳴られたのだろうか。
しばくして、先生は優しい声で「お待たせしました」と声をかけてくれた。
この人だけには悩みを打ち明けたくないな、と思いながら、僕は声をかけてきた赤の他人に笑顔を向けた。
僕は、僕自身を騙しきれなかった。人見知りではないと自分を騙すことも、あれは嫌な記憶ではないと自分を騙すことも。
友人を包丁で刺さなかったのは、夢の中であっても傷つけなくないからだと自分を騙してきた。
だが、違う。
あれが夢だとわかっていたら、きっと僕は楽しそうに、あの日見た2人の笑顔と同じくらい素敵な笑顔を浮かべて血飛沫を浴びていたことだろう。
嫌な思い出を指パッチンで一時的に消すことが出来ると自分を騙してきた。
だが、違う。
あんなのは、本当にただの暗示で、一時的にでも消せている訳では無い。消せていると思い込んでいるだけなのだ。
そう、思い込んできただけだった。
何もかも出来たと思い込んできた。
何もかも出来なかったから。
結局、僕は昔から、人見知りで、失敗を引き摺り、友人を夢の中で殺し、現実から目を背ける、ただの僕から変わることができていない。
そんな自分から逃れることができていない。
逃れられない呪縛
5/24/2023, 3:49:58 AM