茜屋 葵

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お題『君の目を見つめると』

︎ 将軍殿、どうかお気をつけ下さい、嫉妬というものに。 それは緑色の眼をした怪物で、人の心を喰い荒らし、翻弄するのです。
︎ 強弱のある抑揚で台詞に命を吹き込み、洗礼された身振り手振りで演者の視線すら縫いつけにする。思わずその熱演ぶりに息を飲んでしまった僕は、彼が纏うオーラにまるで唆されるように身を乗り出した。彼に比べれば月とスッポンに等しい僕の演技。この立ち稽古では、おそらく先生の視線を奪うことは叶わないだろう。それでも構わない。相対する彼をキッと睨み、喉笛に噛み付いてやる勢いで舞台を深く踏みしめた。

「今回の稽古、すごく良かったぞ」
︎ 舞台袖に上がってきた先生に軽く肩を叩かれる。僕は身体中から溢れ出る汗をジャージの袖で拭いつつ、かけられた言葉に頬を緩ませた。僕のことも見てくれていたんだ。思いもしていなかった僥倖に狼狽えながら、バネが跳ね上がるように立ち上がる。
「ありがとうございます!」
︎ 腹の底から絞り出せば、無理をするなと頭を撫でられた。先生の細やかな手のひらが頭の輪郭をゆっくり沿っていき、おでこの汗を優しく拭う。このやりとりが好きだ。演技よりも、何よりも。そうして先生の激励を快く受け入れていると、やはり割り込んでくるのは月の彼。
「センセー、これ返すの忘れてましたぁ」
︎ 僕の頭からスッと手を退けた先生に白絹のハンカチを渡すと、彼は唐突にこちらを振り返り、お疲れ様ぁと柔らかい声で僕に話しかける。しかし彼の目はちっとも微笑んでおらず、その瞳の奥には、緑の怪物が低い唸りをあげていた。

引用元『オセロ/ウィリアム・シェイクスピア』

4/6/2023, 3:15:08 PM