「酸素」
首元にある段差にそっと触れる。私の首には、生まれつき、エラがついていた。魚とかについている、あのエラ。胎児の時に母親の子宮を泳いでいた名残なんだって。変に手術とかをしたら危ないから、そのままにしておいたほうがいいんだって。一生無くならないかもしれないんだって。お医者さんが言ってた。
いつだったか、誰かが私に言った。「魚人間」って。それを聞いて私は悲しむわけもなく、確かにな、って思った。私の家の近くには海がある。「魚人間」にとっては最高の立地。私の首元を見るとみんな、決まって気味が悪そうな、でも好奇心が抑えられないような、そんな目で私を見る。この「魚人間」を産み出した家族でさえも。それがたまらなく居心地が悪くて、いつからか地上で呼吸するのが苦しいと思うようになった。そんな時は、迷わず海に駆け込む。
ざぶん。
海に入ると冷たい水が肌を撫で、エラがぶわりと広がり活動を始める。酸素が美味しい。1日の中で1番、生きている、と感じられる時間。この時間があるから私は生きていける。ただ1人、海に浮かんで何も考えずにぼうっと過ごすだけの時間。孤独、だけど優しい、そんな時間。本当に、その時間さえあれば他に何も要らなかったのに。
砂浜をジャリジャリと鳴らしながら、今日も海と向かう。今日は一段と空気が薄く感じられた。早く海に潜りたい。楽になりたい。そう思って、制服が濡れるのも構わず、海に頭を沈める。
、、、、、、おかしい。いつものような解放される感覚が全くない。苦しいままだ。むしろ、もっと苦しくなる。だんだんと意識が朦朧としてきて、ついに水面に顔を出す。違和感を感じて、首元を探るが、ない。ない。なぜ。私のエラが、ない。信じることができなくて、もう一度探ると、やはり、そこには小さな出っ張りが残っているだけで、呼吸をするための穴が跡形もなくなくなっている。再び鼓動が速くなり、血管がぶわっと広がるような悪寒をおぼえる。苦しい。地上に出ても、海に潜っても。苦しい。苦しい。苦しい。苦しい。苦しい。
今更、普通の人間になるなんて。私はもう、エラがなければ生きていけないのに。
不意に足元に小魚が泳いでるのが見えて、思わず水面を叩く。それはビクッとからだを震わせ泳ぎ去っていく。私も、本当の魚になりたかった。「魚人間」なんて中途半端なものではなくて。自由に海を泳ぎ回りたかった。
放心状態のまま、海の奥へと進んでいく。もう、命を感じられる場所でなくなった海の奥へと。どこまでも。どこまでも。
もし生まれ変わるのなら、次は魚になりたい。
5/14/2025, 1:25:04 PM