初音くろ

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今日のテーマ
《天気の話なんてどうだっていいんだ。僕が話したいことは、》





彼女が学校を休んだ。
自他共に認める健康優良児の彼女が。
家が近いからという理由で先生からプリントを預かり、学校帰りにそのまま彼女の家に寄る。
インターフォンを押して出迎えてくれたおばさんはにこにこしながらお礼を言って、顔を見ていくかと聞いてくれた。
具合が悪そうならすぐに帰ろうと思いながら階段を上がる。
ドアをノックすると中から掠れた声で応えがあった。

「あれ? 学校は?」
「もう終わった。プリント届けに来た」
「宿題いっぱい出た?」
「今日は国語の朗読と算数のプリントだけ。でも具合悪いならやって来なくてもいいって」
「やった、ラッキー」

カーテンの引かれた部屋は薄暗い。
パジャマ姿でベッドに横になってる彼女はいつもと違って元気がない。
学校を休むくらい具合が悪くて寝込んでいるんだから当たり前だ。
それなのに、いつもと同じように元気なふりをしようとする。

「あのさ」
「外、雨降ってる?」
「……5時間目までは降ってたけど今は止んでる」
「そっか、帰りに降られなくてラッキーだったね」
「それはそうなんだけど、それより、昨日――」
「天気予報だと暫く晴れないんだっけ? ジメジメして嫌だよね」

こっちを見ることなく天井を見上げたまま、掠れた声でつらつら話す。
天気の話なんてどうだっていいんだ。僕が話したいことは、そんなことじゃない。
そして、彼女は僕が何を言いたいか分かっててはぐらかしてる。
目を合わせることもなく。
具合が悪いことをひた隠して。

「ごめん」
「別に謝られるようなことじゃないじゃん」
「だって、僕が川で遊ぼうって言ったから」
「乗ったのは私だし、危ないよって言うの無視して深いとこまで行っちゃったのも私だし、あんた全然悪くないじゃん」
「でも、僕が――」
「あんたは悪くないの! 川遊びは私もしたかったからだし、私が転けてずぶ濡れになったのは私の不注意であんたのせいじゃないでしょ」

だから気にしないでよ、と苦笑いする。
熱で潤んだ目が。真っ赤な顔が。掠れた声が。
彼女の不調の全てがつらそうで、苦しそうで、見ていられない。
それなのに、そんな彼女を見てドキドキしてしまうなんて、僕はなんてひどいやつなんだろう。

「僕が、ちゃんと支えてあげられてたら……」
「そしたらあんたも一緒にずぶ濡れだったよね。ていうか、引っ張り起こしてくれる時にあんたも結構濡れてたよね。あんたは風邪引かなかった? 大丈夫?」
「そんな具合悪そうなのにこっちの心配までしないでよ。大丈夫、僕は元気だから」
「でも、なんか顔赤くない?」
「気のせい! この部屋ちょっと暑いし、走ってきたからそれで!」
「それならいいけど。でも、あんたは元気で良かった。うつらないように帰ったらちゃんと手洗いとうがいちゃんとしてね」
「分かってるよ」

指摘されて、ますます頬が熱くなったけど、僕はそれを誤魔化すようにちょっとだけぶっきらぼうに答えた。
言われるまでもない。
これで僕が風邪引いたりしたら、絶対彼女は自分がうつしたせいだと思って落ち込む。

そっと手を伸ばして、汗で額に張りついた前髪をよけてあげる。
ほんのちょっと触れただけでも、彼女の熱が高いことが分かる。
これ以上無理させない内に帰るべきだろう。
なのに。そう思って立ち上がろうとしたのに。

「あんたの指、冷たくて気持ちいい」

なんて、本当に気持ち良さそうな顔をするものだから、僕はすっかり「帰る」と言い出せなくなってしまった。
手のひらをそのまま額にぺたりと付けてやると、彼女はうっとり目を細める。
まるで喉を撫でられた猫みたいに。

「ごめんね。うつしちゃったらいけないから、もう帰ってって言わなきゃなんだけど、もうちょっとだけ、いて」
「うん」
「ほっぺもちょっとだけいい?」

珍しく甘えるみたいに言うものだから、僕は嬉しくなって、まだ冷たい反対の手で頬を冷やしてあげる。
きっと普段元気な分、具合悪いのがつらくて、部屋で寝てるのが心細いんだろうなっていうのが分かるから。
何だかとってもいけないことをしてるような気分になるけど、大好きな彼女のために僕ができることなら何だってしてあげたい。

「ごめんね、もうちょっとだけ……」
「謝らないでよ。大丈夫。そばにいるから」

僕の手の冷たさがよほど気持ちよかったのか、彼女は安心したように笑って目を閉じた。
それから暫くして静かな寝息が聞こえてくる。
いつのまにか、僕のシャツの裾をしっかり握りしめたまま。


それから僕は、おばさんが様子を見に来てくれるまで、何だかものすごく居たたまれない気分のまま、彼女の寝顔を見つめ続けることとなった。





6/1/2023, 2:55:49 AM