薄暗い広間に座り、目の前に置かれた壷をただ見ていた。
随分と白い壷だ。つるりとした表面は陶器のようで、曇り一つ見られない。
まるで骨壷のよう。小ぶりだが、飾り気のない白一色の形は骨を入れるのにちょうどいい。
手を伸ばし、壷に触れる。滑らかな、それでいてひやりとした肌触り。氷ともまた違うその冷たさは、屍の失った体温にも似ていた。
やはり、骨壺にちょうどいい。壷を撫で、漠然と思う。
途端に、壷の中身が気になった。
何が入っているのか、あるいは空なのか。壷の表面を撫でていた手が無意識に蓋にかかる。
かたり。小さな音を立て、蓋が持ち上がっていく。
蓋の開いた壷。腕一本入るほどの丸い闇を覗き込んだ。
動きが止まる。
目を見開き、恐怖に顔を歪め。しかし呻き声一つ漏らすことはできず。
そんな壷の中身と目を合わせ続ける老人の姿を、男は背後にいる二人から隠すようにしながら、ただ見つめていた。
「――何が目的ですか?」
男の背を見据えながら、燈里《あかり》は問いかけた。
答えはない。反応が得られないことに、燈里は表情を険しくしながら睦月《むつき》を庇う腕に力を込めた。
「夢を介して、何を見せようとしていたのですか?」
語気を強めて問えば、今度は答えの代わりに溜息が男から溢れ落ちる。
「これは、俺じゃない。これが、最後の悪あがきをしようとしただけだ」
生に執着し、欲に溺れた哀れな老人。
男の背に阻まれ見えないその末路を思い、燈里は小さく息を呑んだ。
「何が目的ですか?」
改めて燈里は男に問いかける。
別に、と嘯く声音の柔らかさに、睦月を背に庇い直しながら一歩男に近づいた。
男は動かない。
もう一歩、距離を詰めた。
「――っ!」
その途端、視界が薄紅色に染まった。
どこからか吹き込んだ桜の花が、辺りを覆い隠していく。
思わず燈里と睦月は目を閉じた。吹き荒れる桜吹雪に身を竦める。
そして、風が止んだ後。
目を開けた瞬間に視界を染めたのは、咲き乱れる花々の鮮やかな色彩だった。
「わぁ……!」
辺りを見回し、睦月が感嘆の声を上げる。側で咲く菜の花を見て表情を綻ばせた。
「おじさんは、燈里ねぇに謝りに来たの?」
「睦月?」
燈里の隣に立ちながら、睦月は男を見た。戸惑う燈里の手を握り、さらに問いかける。
「繩手《なわて》さんが燈里ねぇの所に来たのは、おじさんが何かしたからだよね?」
男はゆっくりと燈里たちの方へと振り向いた。肩を竦め、どこか気まずげな顔をする。
「まあな。同窓会の知らせが来てたから、それに細工してあんたのことを思い出すように誘導した……悪かったな。巻き込んで」
目を逸らしながらの微かな謝罪の言葉。燈里は目を瞬き、そしてふと浮かぶ疑問を口にする。
「何故、そこまでして繩手くんを助けようとしたのですか?」
今度は男が不思議そうに目を瞬いた。
首を傾げ、さも当然だと言わんばかりに口を開く。
「あの坊主が無理矢理憑き物筋になったのは、まだ七つにも満たなかった頃だったからな。未来とか夢とか、そういったもの全部があの気狂いのせいで狭まったのに、憑き物と一緒に封じられるなんざ、あまりに酷だろう?」
「祓い屋らしくないですね」
「よく言われる」
燈里の指摘に、男は苦笑する。
風に散る桜を目で追いかけながら、目を細め呟いた。
「あの頃はまだ、俺も子供だった。失うことが怖くて、大切なものを作ることを拒んでいるような臆病な子供だったんだ。だから余計に、一つでも多くを助けたいって夢を見ていた……そうしないと心が死ぬ気がしたから」
穏やかに微笑みながら、その目はどこか寂しげだ。
燈里は何も言えずに目を伏せた。
失うのが怖い。助けられるならば助けたい。それは家族を失ってから、心のどこかで常に思っていたことだった。
「――昔語りが過ぎたな。忘れてくれ」
そう言って男はゆるく頭を振り、背を向ける。
刹那、男の姿を隠すように花びらが風で舞い上がった。
呼び止める間もない。極彩色に視界を覆われ、燈里は咄嗟に睦月と繋いだ手を引き寄せた。
意識が揺れる。目を開けていられず、瞼を閉じる。
ふわりと漂う花の香に包まれ。
そして、燈里と睦月は目を覚ました。
4/17/2026, 5:38:57 PM