終業時刻はとっくにすぎているのに厨房にはまだ灯りがついていた。消し忘れなんかじゃない。また、先輩は1人残って黙々と練習しているのだ。
邪魔しないように帰ろうとしたけど、無言で出ていくのも悪いかな、と思ったのでそっと扉を開ける。中には入らず顔だけひょこっと出した
「お疲れさまです。お先に失礼します」
「あぁ、お疲れさま。気をつけてね」
ちょっとだけ厨房に顔を突っ込んだだけなのに、バターのいい薫りが鼻をくすぐってきた。
先輩はパティシエを目指している。まだまだ全然見習いで、学ぶことが山のようなのよ、と謙遜しているけれど、先輩の作るお菓子は他のどことも比べ物にならないほど美味しいと私は思う。来年にはフランスの有名菓子店に弟子入りするために渡仏するのだそうだ。暫くの間会えなくなることも寂しいし、先輩の作るお菓子を簡単に口にできなくなるのも寂しい。でも、
「もっともっと技術を磨いて美味しいお菓子を沢山作って、いつか自分の店をかまえるのが夢なの」
瞳を輝かせて言った先輩を見たら、寂しいなんて言えなかった。誰よりも努力家で誰よりも自分自身にストイックな先輩だが、私には常に眩しく映っていた。そんな彼女が作りあげるスイーツたちが、私は今もこれからもずっと大好き。
「佐倉さん、待って」
裏口から出る寸前に先輩から声をかけられた。抱えていた白い箱を私に向かって差し出してきた。
「これ、試作で作ってみたの。良かったら」
「いいんですか?」
「感想聞かせてね」
じゃあ気をつけてね、と言い先輩は店内に戻ってゆく。もうすぐ夜も更けるなかなかの時間になるというのに、一体何時まで残ってるんだろう。努力と根気の塊のような人からこんな可愛らしいお菓子が次々と作られる。そっと箱の中身を確認してみた。鮮やかな赤色が目を引くグロゼイユのケーキ。自然と頬が緩んでしまう。やっぱり、先輩の作るケーキは人をしあわせな気持ちにさせる力を持つ。
誰よりも努力を重ね、挫折を知り、涙をのんだ経験をしているからこそこんな芸術的なお菓子が作れるんだなぁ、と今さらながらに思った。
帰ったら、有り難く美味しくいただこう。
2/17/2024, 6:50:54 AM