奈都

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お題「10年後の私から届いた手紙」



不思議なこともあるものだと思う。

私はそのとき、机に向かっていた。夏休みが終わろうとしている8月の末のことだった。
私は明日提出予定のワークとその答えを広げて、3問に1問間違える、いかにも自分で解きましたという雰囲気を出す作業に取り組んでいた。

どうせ、先生も書いてあるかどうかくらいしか確認しないだろうに、なんで自然な回答になるように気をつけているのか。
そんなの、私の性という他ない。

ここは正解しといたことにしよう。
問題によって自分が答えられるかどうかを検討しながらシャーペンを動かしていると、コトン、と何か落ちるような音がした。

下の方から聞こえた気がする。
足元を見るが、自分の足がぶら下がっているだけで、何もおかしなところはない。
あたりを見回すが、終わった宿題が床に散らばっているだけで、何か崩れた様子もない。

机の中か?

机の中に何を入れているか思い出せないまま、私は引き出しを開けた。

そこには、乱雑に置かれたシールやメモ帳など、小学生くらいの時に集めたものが入っていた。そんなものを入れていたことさえ忘れていた私の心は、懐かしさでいっぱいになった。
そんな懐かしさの中に、異質なものがあった。

なんの飾りっけもない紙切れ。ゴミかと思い手にとってみると、確かにしわしわであるが、走り書きのような雑な文字が書かれていることに気づく。

『2023年→2013年 アキラ 許すな』

「え、きもちわる」

思わず声に出る。よく見てみればノートを破ったような紙で、端っこが赤いインクで汚れている。指紋のようになっていて気持ち悪い。そのとき、はたと気づく。
そのインクに触れた指が、赤く汚れていた。違和感があり、顔に近づけると、鉄のような臭いがした。

「血……?」

慌てて紙を手放す。ワークに少し滲みができた。

なんで私の机から血のついた紙が出てくるの? 知らないうちに怪我でもした? そもそも書いた覚えのない紙が出てくるのも意味わからないんだけど。

混乱する頭で、改めて紙を見る。

2023年から矢印があって、2013年と書いてある。部屋に飾ってあったカレンダーを見る。2013年の8月だ。

授業で選挙のことをやった際に、20歳になった自分への手紙を書いたことがあった。そのときの私は、手紙の冒頭に、「2007年→2016年」と書いた。

同じように現在の自分が左側だとすれば、これは未来の自分からの手紙になる。
真剣に考えて、私は馬鹿馬鹿しくなった。

未来から手紙が届くわけない。というか、書いてある年をそのまま鵜呑みにして未来の自分が描いたものだと判断するなんて、頭がゆるゆるすぎる。

きっと弟あたりがイタズラで忍ばせたのだろう。
ついていた血は、きっとさっき机に腕を突っ込んだときにどこか引っかけたのだろう。

そう自分を納得させて、私はその紙をぎゅっと固めるように握りつぶした。そのままゴミ箱にいれようとしたが、血のついているこんな紙が家族に気づかれても嫌なので、ティッシュに包んだ上にお菓子の袋に包んで捨てた。

何事もなかったかのように私は椅子に座り直す。
ワークについた血は、乾いていた。


アキラって……この間引っ越してきたお隣さんのことかな……。

シャーペンを動かしながらも、私の頭はさっき捨てた紙に持って行かれていた。
誰かのイタズラだと思おうとしても、もしかして、という不安は拭えない。
サンタさんを信じたかったいつかの私と一緒だ。はっきりと否定されなければ、その可能性を信じてしまいたくなる。

アキラちゃんは、ついこの間お隣に引っ越してきた、私と同い年の女の子だ。
訳ありというやつらしくて、お母さんと二人でひっそりと引っ越してきたらしい。
夏休み明けから同じ中学校に通うらしく、同じクラスになれるといいねと話した。

アキラちゃんは静かな子だ。引っ越しの挨拶に来た時に一緒に遊ぼうとしたが、何も喋ってくれなかった。
人見知りなのだと、アキラちゃんのお母さんは笑っていた。
会う度に話しかけていたせいか、ここ一週間くらいは会話ができている。
私の弟のサトルも頑張っているようだが、まだ話してくれないと昨日ぼやいていた。

話してくれないからって、こんなイタズラしなくても……。本人見てないしまあいっか。

私は答え写しに集中しようとしたが、玄関のチャイムが鳴ったのでできなかった。
いまは両親は仕事に行っている。サトルは多分アキラちゃんにちょっかいをかけに行ってると思うが、まあ、家にいたとしても、私が出るべきだとは思う。

「はーい、どちらさまですかー」
「アキラ……」
「え、アキラちゃん?」

私は玄関に向かう。ドアを開けて、頭がショートしそうになった。
真っ青な顔のアキラちゃんが、手に血まみれの包丁をもっている。

「さ、サトルくん……うごかな……くて……」

私は急いで隣のアキラちゃんの家に入った。扉を開けた瞬間に、血の臭いと、サトルの姿が飛び込んできた。
クラクラする。名前を叫んでも、サトルの見開いた目は少しも動かなかった。

「ど、どうすれば」

アキラちゃんの弱った声が聞こえてきた。
どうすればもなにも。私もわからないのに。

「きゅ、救急車……」
「だ、だめ!」
「なんで……」
「おかあさんの、仕事邪魔しちゃう」

邪魔も何も。呼ばなかったらサトルが。

わけがわからずサトルの手を握ってアキラちゃんを見ていると、アキラちゃんは、決意したように、サトルの足を持ち上げた。

「腕の方、持って」
「なんで……」
「押入れに、隠す」
「隠したらサトルが……」
「もう死んでる!」

アキラちゃんが叫んだ。思わず固まる。
ゆっくりとサトルに目を戻すと、目は開かれたままだ。瞬きをしない。そんなに長い間瞬きをしないなんて、できるわけない。

これは人形なんじゃないかと思い始めた。
サトルによく似た人形。だって、サトルはもっと表情豊かで、私を見たら元気な声で「お姉ちゃん」と呼んでくれたのだから。

人形なら、隠す必要ないじゃないか。
私が立ち上がった時、玄関のドアが開いた。

「アキラ……?」
「お、か……」

呆然と立ち尽くしている女性。アキラちゃんのお母さん。
返り血に塗れた娘と倒れた男の子を見て事情を察したのだろうか。
アキラちゃんのお母さんは手早かった。


とりあえず押入れに隠しとくから、ユリちゃんは家族にこのことは秘密にしとくこと。
言ったら、ユリちゃんもサトルくんと同じ目に遭うからね。


念を押されて私は家を追い出された。
ぼんやりとした頭で自分の家に入る。

玄関にはサトルの靴はなかった。
元気よく出て行ったのだから当たり前だ。あの靴がここに並ぶ日はもうない。

私は玄関に座り込んだ。わからなかった。なんでサトルが殺されたのかも、私がアキラちゃんに呼ばれた時何をするべきだったのかも。

『アキラ 許すな』

ふと、あの変な紙が頭によぎった。
もしあれが本当に未来からの手紙なら、未来の私はどういう選択をしたのだろう。
どういう選択を、後悔したのだろう。

『さ、サトルくん……うごかな……くて……』

包丁を持って私の前に現れたアキラちゃん。
その包丁はすでに血に塗れていた。

「あのとき……殺せばよかったのか……」

今はアキラちゃんのお母さんもいるから殺せない。
いや、殺せなくても、問題が大きくなればいいんだ。怪我をさせるだけでもできれば、サトルを隠すどころじゃなくなれば、きっとすべて解決する。
生きてなくても、家族が泣き叫ぶとしても、ちゃんとサトルが帰ってくる。


私は耳を澄ませながら時を待った。
誰かが外の廊下を歩く音がしないか、隣の家から誰か出てきた音がしないか。

そろそろお母さんが帰ってくるだろう時間になった。隣はまだ動いていない。
私は台所の包丁を持って、ゆっくりと隣の家に向かって歩いて行った。

心の中でお母さんとお父さんに謝って、隣のチャイムを鳴らしながら名乗りあげる。


お母さんの叫び声と、アキラちゃんのお母さんがドアを開ける音が、同時に聞こえた。



おわり。

2/16/2023, 8:56:27 AM