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一筋の光

ある日、極楽の池のほとりを散歩していました、もう下界のことは忘れかけている頃の話でした、はるか下に現世という地獄のような世界があり、それを覗き込んでは、恐怖していました。

ふと見ると男が血の池でもがいているのが見えました。

男は、その世界で、殺人や放火など、多くの凶悪な罪に手を染めていた、それがあの世の世界に来ると真っ赤な血の池でもがいているように見えるのでありました。

そんな男も決して完全無欠の悪魔ではないものである、一寸の虫にも五分の魂決めつけてはそれこそいけない、一筋の光があったのでした。

男は、子供の頃から犬猫小動物や昆虫が好きな少年で、それらをたいそう大切にしろと言う子供でした、母親は結婚はとうに破綻し父親の違う子供を何人も産み家には寄り付かず、まだ少年だった男に兄弟姉妹の世話を押し付け、たまに来ては昼間から酒の匂いとキツイ香水の匂いと煙草の匂いの入り混じった匂いを漂わせ金を置いてまた出て行くのであった、男は子供たちを忘れずにそうして月に一回でも金を渡しに来る母親の悪いところばかり探すお決まりのパターンの少年期で、やがて少年も年を取り、そんな暮らしに嫌気がさして兄弟姉妹を置いて、母親同様家出をしたのでした、誰が悪者か?の堂々巡りは、またにして、今宵は、その男の話の話をしましょう、家出の後は外道一直線の男の人生で、いいとこ無しで、他人様の返り血だか自分の血だか分からない血の池で溺れている現在の様子でありました。

そんな男のある日の出来事をお釈迦は想われたのでした。

ある少年の日、その男は道端の小さな蜘蛛の命を思いやり、蜘蛛を踏み潰そうとした男から蜘蛛を逃がして助けてやったのでした。

そんなことが、あったから天上界におられた、お釈迦様が、その男を私たちのいるところに救いあげてやろうとしたのでした、私たちはどうなるのかと下界を眺めておりました、するとお釈迦は地上に向かって一筋の光のように輝く金色の蜘蛛の糸を垂らしました。

現世の血の池で罪に溺れていた男は顔を上げると、一筋の光のような金の糸がするりと垂れているのに気づき、これでこの苦界から抜け出せると思った男は、その蜘蛛の糸を掴んで一生懸命上を目指したのでした。

現世の世と、私たちのいる場所とは、たいそう離れているため、疲れた男は途中下を見渡して休もうとしました、しかし下を見ると魑魅魍魎さっきまで、罪の血の池で罪にもがき罪に苦しんでいた男に、罵声を浴びせ唾吐きかけ石を投げて裁いていた者達が、目の色変えて真っ暗な血の池の辺から、うまそうな話なら自分もと現世に差す一筋の光のような金色の蜘蛛の糸にしがみついて幾人もの現世の人々が行列のように繋がっていたのでした。

このままでは重みで糸が切れて俺までまた現世に落ちる、「やめろ!下におりろ!この蜘蛛の糸は俺のものだ!」と大声で叫んだ瞬間、蜘蛛の糸はプツリと切れた、彼らはまた、再び現世の世に落ち上を目指し弱い者はさらに弱い者を叩き、罪人は血の池に溺れもがき、それを見ている者たちは、自分はそれよりはましと安堵し石を投げて叩いて憂さを晴らす現世の暮らしに落ちたのでした。

全てを見ておられたお釈迦様は、「まだまだ現世が必要だったようだ…」と呟いて立ち去りました。


この世は修行の場とは仏教の教え、修行とは天からお釈迦が垂らした糸に気づき感想し己の道を行くことなのだそうです、他人のことは捨て置きなさい、自分がどう生きるかです。


天上天下唯我独尊

「唯、我、独(ひとり)尊し」
天上天下に、ただ一人の、誰とも代わることの出来ない人間としての、この命そのままが尊し」

この言葉の本当の意味を知っていれば、男は現世から真っ直ぐお釈迦様のところへ上ってこれたのかも知れません。

まだまだ修行が必要の様子で現世に帰って来た男は今日もまた罪の血の池で溺れもがくのでしたが、きっと湧いてきた血の池の辺りで男に石を投げ裁いて唾を吐きかけ野次っていた魑魅魍魎よりも、ひょっとしたら、お釈迦様は、この男を救いたいと思われるのかも知れません。

「南無阿弥陀仏」とは、確かそんなようなこの世の地獄を歩く人に差す一筋の光のような言葉だと聞いたことがありました。

創作「蜘蛛の糸」 作 芥川龍之介
リスペクトオマージュ♪


令和6年11月5日 

                心幸   


11/5/2024, 2:55:59 PM