俺がワガママを通して、彼女の自宅で昼食をすませた。
食べ終わった食器さげたあと、温かい麦茶を入れたマグカップをローテーブルに置く。
「台所、お借りしますね?」
「……どうぞ」
彼女は唇を尖らせながらうなずいて、マグカップを受け取った。
ちょっとした罪悪感から、彼女は絶賛不貞腐れている。
食器を片づけたい彼女と、水仕事をさせたくない俺で衝突したのだ。
もちろん、その攻防には俺が勝利する。
食材、調理と俺の好きにさせてもらったのだから、最後の片づけもワガママを通させてほしいと屁理屈をこねたのだ。
ツンとする彼女の頭を撫でたあと、片づけに取りかかる。
食器、調理器具、キッチン周り、換気扇をしっかり掃除したあと、棚の上に高級感溢れるギフトボックスが置いてあることに気がついた。
つい最近用意したばかりなのだろう。
老舗コーヒーブランドのロゴが箔押しされていた箱は、未開封で真新しかった。
ブランド名からして明らかに来客用に用意したと考えるのが自然だろう。
だが、彼女は自宅に人を招くタイプではないはずだ。
普段、彼女はコーヒーを飲まないから自宅用でもない。
ギフトボックスを手にしてリビングに戻った俺は、彼女の隣に座った。
「来客の予定でもあるんです?」
「え? ないけど。急にどうしたの?」
ローテーブルの上に例のギフトボックスを置く。
「俺の聖域にこんな見慣れない箱ががあれば気になりますよ」
「あー、コレか」
箱を一瞥したあと、彼女はすぐに興味を失ったのか、麦茶の入ったマグカップに手を伸ばした。
「コレ、れーじくん用」
「はあっ!?」
「よく飲んでるから、用意してみた」
「用意って。いや、うれしいですけど俺、そんな味の違いとかわかんないっすよ?」
企業努力あってのことではあるが、俺がいつも飲んでいるのは150円前後のコーヒーだ。
わざわざ俺でも知っているような高級ブランドのものを用意してもらうほど、コーヒーに詳しくはない。
「私もわかんない。ただ、見た目がかわいかったから選んだだけ」
マグカップをローテーブルの上に置いた彼女は、小さく息をついた。
俺の様子をうかがう彼女の雰囲気が気恥ずかしそうに移り変わる。
頬を染めて落ち着きなく指を遊ばせる姿に息を飲んだ。
「ど、だって、れーじくんが……、私物らしい私物はあんまり置かないからじゃん」
え、俺の私物?
コーヒーから急に俺の私物に矛先が向き、話が見えなくなった。
「キッチンは我がもの顔で占拠したクセに……」
「さすがにそれは言葉に語弊がありませんか?」
調理器具は置かせてもらっているのだが、元々は彼女の所有物である。
あまり物を増やされたくないのかと思い、調味料も最低限に留めていた。
「試しにあなたの写真を1枚飾ってみたらすぐに撤去されてしまったので」
「キッチンに6切りサイズの写真を置くのはさすがに勘弁して」
どうせL版でも許してくれないのに、サイズの問題みたいに言うのはやめてほしい。
「……まともに使ってないクセに」
ボソッと本音を溢したら彼女の眼光が鋭く光った。
「なんだって?」
「なんでもありません」
俺が初めて彼女のキッチンを借りたとき、冷蔵庫と電気ケトルくらいしか稼働しておらず、度肝を抜かれたことを思い返す。
収納棚には未開封の調理鍋やフライパン、よさげなオーブンレンジと炊飯器が眠っていた。
それから足繁く通い、彼女の許可をもらいながら少しずつキッチンらしく整えていく。
キッチンでさえあの状態だったのだ。
勝手にアレもコレもと置くのはさすがに気が引ける。
「ゴミだって、生ゴミとか、……あ、アレのときのティッシュすら絶対持ち帰るし……」
「ゴミの日のときはさすがにマンションのゴミステーションをお借りしています」
「そういうことを言ってるんじゃなく、てっ」
ギュッと膝の上で彼女は指を握りしめる。
「ケトルならあるし、コーヒーくらいは温かいの飲んでほしい。……ってことを、言いたくて」
「え……」
ここまで聞いてようやく彼女の言いたいことを理解する。
彼女の部屋は少し生活感に欠けていた。
家を空ける機会が多いことも要因のひとつだろう。
ひとつひとつを見ていけば彼女の存在は確かに感じるのに、あまり人が住んでいる気配がしないのだ。
「荷物、置いてもよかったんですね?」
「イ、イヤじゃなければ……」
ふるふると唇を震わせる彼女は、顔を真っ赤にして恥ずかしがってはいるが、無理をしている感じではなかった。
いや、がんばっていじらしく気持ちを伝えてくれているという意味では相当無理をさせてしまっている。
俺としても、荷物を置かせてくれるなら願ったり叶ったりだ。
万が一、彼女の自宅に他人が上がり込んだときのための牽制にもなる。
しかし、宿主である彼女が存在を消しているのに、俺が主張するのも違う気がして、今まで私物は持ち帰っていたのだ。
「イヤだなんてそんなまさか。うれしいです」
たまらずに彼女を抱きしめると、彼女がホッと肩の力を抜く。
「お、お風呂も、ね? 毎回トラベル用のヤツ用意するの大変ならボトル置いてもいいんだよ?」
抱きしめた腕の中から、彼女がひょこっとはにかんだ顔を覗かせた。
頬を染めながらもうれしそうに照れ笑いする彼女が眩しい。
夏も終わりかけているのに、目が眩みそうになった。
うー……、わー……。
なんだこのかわいい生き物。
あざとすぎるにも程がある。
今度、絶対にマグカップとシャンプー持ってこよ……。
「ありがとうございます。そういうことなら、お言葉に甘えますね」
舞い上がる気持ちはなんとか抑え込んで、俺は彼女の背中を抱きしめ直した。
『コーヒーが冷めないうちに』
9/27/2025, 6:15:15 AM