CICADA

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私はヒトから「人魚」と呼ばれる存在。
かつて私を救ってくれたヒトのような姿と心を持った「彼」が再び通りかかってくれないかとずっと待っているのだけれど…

まぁ、そんな都合の良いことなんてないわよねぇ……

それでも希望も捨てきれず、今日も夜闇に上手く紛れつつ海岸近くの岩陰から陸の様子を窺っている。
昼間、彼に似た声を聞いた気がしたからか、今夜は特に期待に胸が高鳴ってしまって…
今夜こそ、彼はここに来るような気がした。

けれど、そこに現れたのは金髪碧眼の背の高い男の子だった。
白金の細い縁を持つ眼鏡のせいか、それとも彼の表情が寂しげだからか、彼はひどく儚げに見えて、一瞬、長年恋焦がれたあの人のことを忘れかけてしまった。
それほど強く目を引く美しさが彼にはあった。

そんな美しい彼は紙切れの入った瓶をひどく大切そうに、そっと海に流した。
あらあら、なぁにそれ?
故人の遺骨を流すみたいに悲しそうな顔しちゃって…
そんなの見ちゃったら、気になっちゃうじゃない。

波に紛れてこっそりとその瓶を回収してみれば、彼が書いたであろう文字の書かれた小さな手紙が入っていた。
あまりに短い文章だったから、ちょっとしたメモかと思ったけれど…
でも内容を読んでこれは恋文だと分かった。分かってしまった。

手紙にはこう書かれていた。

「僕の唯一無二の相棒へ、貴方を心から愛しています。喩えこの恋が叶わぬものだとしても、貴方の温もりを僕は生涯忘れません。どうか、僕らの旅が終わってしまっても再び貴方の隣にたどり着けますように…」

なんて、悲しい恋なのだろう。
読んでいて私まで胸が苦しくなって、少しでも気を抜けば今にも泣いてしまいそう。
誰よりも近いところにいるのに、恋心は交わることができないだなんて。

今すぐに彼の目の前に姿を見せて海に引き込んでしまいたい。
これほど悲しい恋なんて私の歌声で忘れて、私の傍で楽しく過ごしてもらいたい。
けれど、それがどれほど無粋なことかも分かっている。
ヒトの感情はそんな簡単にどうにかできるものじゃない。
喩え私の歌声で全てを忘れさせたとしても、ふとした瞬間に思い出してしまうこともある。
そうなったら、彼は今とは比べ物にならないほど深い悲しみに心を引き裂かれてしまうのでしょう…

私には、彼を慰める資格がない。

私は生涯初の失恋を味わったような気分になって気配を消したままその場を離れようとした。
その時、彼の微かな、波音に消え入りそうなほどの小さな呟きが聞こえた。

「よしのりさん…」

その名前に私の鼓動は突如跳ね上がる。
その名前、は…
それは、私の恩人で想い人の…

思わず振り向いた。
そこには悲恋を海へと流した彼と、その背後数十メートルに立ち、困ったような曖昧な笑顔を浮かべる、女性…
彼女、いや、「彼」は…私の……

待ち焦がれた存在を目にして、信じられないという気持ち以上に、眼鏡の彼の想い人が誰であるかが分かった衝撃が私の動きを完全に止めた。

「身体、冷えちまうぞー?」
「うっっっわぁ!!?よよよよよよしのりさん!?何でっ!?」
「いやぁ、起きたらお前が居なかったからさー」
「う…心配かけてしまって、すみません…」
「だーいじょーぶ。けど、冬の海は身体に堪えるから戻ろうな〜」
「…はい……」

そんな会話をしながら、緋色の髪の彼は眼鏡の彼の両頬を素手で包み、彼らは見つめ合い、微笑みあっていた。

…なによ。
眼鏡の彼の哀しい片想いかと思ったのに。
そんな自然に触れ合って見つめ合えちゃうなんて、それってもう…

2人が仲良く手を繋いで陸の奥へと帰って行ったのを見送ってから私は細く鋭利な三日月を映して煌めく海へ独り呟いた。

「私、一晩に二度も失恋しちゃったわ…」

8/23/2024, 1:31:01 PM