139

Open App


 あっ、落ちた。
 気が付いたときにはもう手遅れだった。

 チャイムが鳴ると、皆一斉に机の上を綺麗にし始めた。黒板の前に立つ先生は、まだ続けたそうな顔をしていたが、諦めたように手の中の教科書を閉じた。
「続き来週やるから、その時はキリがいいところまでやるからな!」
 そう先生は言い残して教室を去っていった。
 私は教科書やノートをしまって、財布を取り出した。今日は暑くて持ってきた水筒のお茶がなくなってしまったのだ。自販機で追加のお茶を買いに行こうと思った。
「サキちゃんごめん、私購買行ってくる」
 椅子から立ち上がった私のそばに、ナナコちゃんがやってきて両手を合わせてきた。
「私も飲み物欲しいから、一緒に行こう」
 私がそう言うと、ナナコちゃんはニコッと笑った。そうして二人で話しながら一階の購買と自販機コーナーまで連れ立って歩いていた。
 階段に差し掛かって、上から急いで降りる人や下から上がってくる人たちを避けて端っこを通っていた。それでも話は途切れなくて、いよいよナナコちゃん所属している部活の先輩の恋愛話になり、つい、会話が盛り上がってしまった。夢中になって話していたから注意散漫になっていた。だから、ナナコちゃんが急いで駆け上がってきた人と肩同士がぶつかったときに、咄嗟に反応できなかったのだ。
「きゃあっ」「ってぇな」
 その声はほぼ同時に聞こえた。こちらをギロリと睨んだだけで、その人はどんどん登っていったけどこちらは違う。バランスを崩したナナコちゃんは前のめりになって、階段を落ちそうになったのだ。
 咄嗟のことで声すら出なかった。必死に手を伸ばしてナナコちゃんの腕を掴んだ。
 その時、横から別の腕がナナコちゃんに伸びてきた。私よりも速いスピードでナナコちゃんの腰に手を回していたのだ。その手のおかげで、ナナコちゃんは階段から落ちずに済んだのだ。
「あっぶねぇな」
 そう呟いた声には聞き覚えがあって、伸びてきた手の持ち主を見上げた。そしたら、同じクラスの西岡くんだったのだ。私はすごく驚いてしまった。
 西岡くんはクラスの中でもその輪から抜けていて、いつも隅っこの方でゲームしている大人しい子なのだ。なんだか声も掛けづらいし、いざ話すことがあってもボソボソ喋るから何言っているか分からないし。
 そんな子が、階段で滑り落ちそうな女の子を、助けたなんて。
 なんで少女漫画なんだろうと場違いに考えてしまった私は、まだナナコちゃんの腕を握っていた。
 西岡くんはナナコちゃんが立ったのを確認して手を離し「大丈夫っすか」とぶっきらぼうに聞いてきた。ナナコちゃんは言葉が見つからないのか、大袈裟に頷いていた。
「ありがとう、ございました」
「っす」
 そう返事して、西岡くんは手早く床に落としていたパンを拾って階段を上っていった。
 私はナナコちゃんに咄嗟で何もできなかったことに対して謝ったのだが、ナナコちゃんはなぜが上の空だった。何度か呼びかけて、やっと返事があったくらいだ。
「どうした? やっぱり怪我してる? 保健室行く?」
 心配して何度も問いかける私に、キッパリとナナコちゃんは言った。
「大丈夫、外傷はないから」
「いやでもボーッとしてるから」
「それは、だって」
 ナナコちゃんは何故か顔を赤らめて手をもじもじさせている。私は特に何も言われてないはずが、どういうことか察してしまった。

「西岡くんって、彼女いるかな?」

 人が恋に落ちるところなんて、初めて見た。



『落下』

6/19/2024, 5:39:59 AM