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105.『透明な羽根』『寂しくて』『心の境界線』


 寒くなると人肌が恋しくなる。
 独身の男にとって、この季節は特に。

 月日が経つにつれて慣れてしまうものだと思ったけど、どうにもそんな気配がない。
 寂しくて彼女を作ろうと奮起した時期もあるけれど、結局恋人は出来ずじまい。
 これも運命だと自分に言い聞かせても、心まで冷え込むようだった。

 けれど今、自分の部屋に女性がいる。
 しかも、彼女はこの部屋で夜を明かしたのだ。
 この奇跡に『我が身に春が来た』と言いたいところだけど、残念ながら彼女は恋人ではない。

 彼女は、小さい頃よく一緒に遊んだ幼馴染。
 名前は順子だ。
 親からは本当の兄妹みたいと言われるくらい仲が良かったけど、彼女が遠い所に引っ越した。
 会ったのはそれっきりで、記憶からも消えかかっていた。

 ところが昨日、バッタリ出くわした。
 仕事帰りのコンビニで、夜食を買おうとしたときに会ったのだ。
 突然の再会に話が弾んだ。
 ……弾みすぎて、順子が終電を逃してしまったが。

 『帰る手段がない』とおろおろする彼女に、俺は彼女を泊めることにした。
 もちろん付き合ってもいない女性を部屋に上げるべきなのか、そこは少し迷った。
 でも知らない仲ではないし、夜道を歩かせるのは気が引ける。
 『ホテル代くらいは出すよ』と代替案と一緒に伝えると、順子はあっさり了承し、申し訳なく微笑んだ。
 そして部屋に連れて来た。


 誓って言うが下心はない。
 たしかに恋人は欲しいが、困っている人間の弱みに付け込むほど落ちぶれてない。
 純粋な親切心として、部屋に上げることにした。
 もう一度言う、下心は無い。

 ――無いのだが、実際に順子を部屋に上げて気づいた。
 自分の部屋に女性がいると言うのが、どういう意味なのかと……

 順子がいるだけで、枯れた男部屋が潤いで満たされる。
 彼女の周りだけ、輝いているように見えるのは気のせいだろうか。
 香水を付けているのかいい匂いもしてきて、まるで自分の部屋じゃないかのような錯覚を起こす。
 見慣れた部屋が、まるで別物だ。

 奇跡の数々に、順子を『天使なのでは?』と半ば本気で思ってしまう。
 きっと背中には、俺には見えない透明の羽根がついているに違いない。
 もちろんそんな事はないのだが、そう思うほどに大事件であった。

 改めて、順子を異性として認識し始め、心臓が激しく鼓動する。
 さらに、あの幼かった順子がとびっきりの美人になっていたことも拍車をかける。
 自分のあまりの迂闊さに、過去へと戻って過去の自分を殴ってやりたいくらいだ。
 せめて心の準備が欲しかった。
 無かったはずの下心も頭を出し、俺の心の中は大混乱だった。

 それからの事はよく覚えていない。
 異性として意識している事に感づかれないにするだけで精いっぱいだったのだ。
 子供の頃仲が良く遊んだ思い出があるだけに、どうしても昔の様に接してしまう。
 お互いい歳をした男と女。
 もう少し節度を持ったお付き合いをすべきなのだが、全く距離感が分からないでいた。

 今日ほど女性に免疫がない事を悔やんだ日は無い。
 彼女の心の境界線がどこにあるか分からず、会話が続かないのだ。
 これ以上は俺の気が持たないと、電気を消して寝る提案をした。

 だがウチに来客用の布団は無い。
 どちらが布団で寝るかを議論し、最終的に一緒の布団に寝ることになった。
 ……なぜ?

 頭にハテナマークを浮かべながら一緒に布団に入る。
 あれほど待ち望んだ人肌だが、満たされる満足感よりも緊張の方が勝った。
 余裕のある順子が羨ましい。

 一睡もできないことを覚悟していたが、いつの間にか寝入っていた。
 外が明るさで目が覚め、寝起きの頭で一安心と思っていたが、まだ危機は去っていなかった。
 布団の中で、順子に抱き着かれていたのだ。

 おそらく寝ぼけて抱き着いたのだろう。
 順子が知ったら、きっと気まずい思いをするだろう。
 そうなる前に抜け出そうとするが、順子が身をよじる気配がして、ピタリと動きを止める。
 もしかしたら眠りが浅いのかもしれない。
 起こしては悪いと、とりあえず寝たフリをすることにした。

 今日が休みでよかった。
 いくらでも寝ていられる。
 ……いや、平日だった方が、朝の忙しさを理由に誤魔化せたのかもしれないのに。
 上手く行かないものだ。

 それにしても、これは心臓に悪い。
 確かに人肌が欲しかったが、これでは生殺しだ。
 もっと気楽に温もりを感じたいのに、どうしてこうなってしまったのか……

 それにしても人肌は良いものだ。
 側に誰かがいるというだけで、とても安らかな気持ちになる。
 布団の暖かさと相まって、とても心地よい。
 このまま眠ってしまいそうだが、そうもいかない。

 ああ、それにしても。
 誰かがいるっていいなあ。
 幸せな気分で、満たされて、このまま眠ってしまいそうだ。


 ◇

 寒くなると人肌が恋しくなる。
 独身の女にとって、この季節は特に。

 月日が経つにつれ慣れてしまうものだと思ったけど、どうにもそんな気配はない。
 恋人が出来そうにないので、代わりにと湯たんぽ付き抱き枕を買った。
 暖かく寝れるようにはなったが、余計に寂しさが募るばかりだった。

 けれど今、私は男性の部屋にいる。
 しかも、私はこの部屋で夜を明かしたのだ。
 この奇跡に『我が身に春が来た』と言いたいところだけど、残念ながら彼は恋人ではない。

 彼は、小さい頃よく一緒に遊んだ幼馴染。
 名前は…… 分からない。

 別に忘れたとかじゃなくて、本当の兄妹みたいに仲が良く、ずっと『お兄ちゃん』と呼んでいたから、知る必要がなかったのだ。
 けれど、私は引っ越してしまい、ずっと知らないままだった。

 ところが昨日、バッタリ出くわした。
 仕事帰りのコンビニで、夜食を買おうとしたときに会ったのだ。
 突然の再会に、思わず『お兄ちゃん』と言ってしまった。
 大人の男性を相手に失礼かと思ったのだが、特に気にした様子もなくホッとした。
 安心して話していたら終電を逃がしてしまったけど……

 『帰る手段がない』と困っていると、お兄ちゃんは『うちに泊っていけばいい』と提案してくれた。
 付き合ってもいない男性を部屋に上がってもいいのか、そこは少し迷った。
 けれど知らない仲ではないし、お兄ちゃんもさすがに手は出してこないだろう。
 ホテル代を出すとも言われたけれど、そこまで迷惑はかけられないと了承し、感謝の意を伝えた。
 そして部屋にやって来た。


 誓って言うが下心はない。
 たしかに恋人は欲しいが、あえて隙を見せて既成事実を作るほど落ちぶれてはいない。
 好意から来る申し出に、ありがたく申し受けただけ。
 もう一度言う、下心は無い。

 ――無いのだが、実際にお兄ちゃんの部屋に入って気づいた。
 男性の部屋に上がると言うのが、どういう意味なのかと……

 お兄ちゃんの部屋は、自分の無味乾燥な部屋とはまったく違った。
 自分とは異なる感性によって築き上げられた空間に、私は感嘆の息をもらす。
 そして芳香剤に混ざった微かな汗の香りを感じて、ここは自分の部屋じゃないと痛感する。
 始めて経験する男性の部屋に、私はどぎまぎしていた。

 あまりに予想外過ぎて『ひょっとして夢なのでは?』と半ば本気で思ってしまう。
 なにかの拍子にお兄ちゃんの事を思い出し、夢の中で親交を深めていると……
 もちろんそんな事はないのだが、そう思うほどに大事件であった。

 改めて、お兄ちゃんを異性として認識し始め、胸の奥がざわめく。
 さらに、あの幼かったお兄ちゃんがとびっきりのイケメンになっていたことも拍車をかける。
 自分のあまりの迂闊さに、過去へと戻って過去の自分を殴ってやりたいくらいだ。
 せめて心の準備が欲しかった。
 無かったはずの下心も頭を出し、私の心の中は大混乱だった。

 それからの事はよく覚えていない。
 異性として意識している事に感づかれないにするだけで精いっぱいだったのだ。
 子供の頃仲が良く遊んだ思い出があるだけに、どうしても昔の様に接してしまう。
 お互いい歳をした女と男。
 もう少し節度を持ったお付き合いをすべきなのだが、全く距離感が分からないでいた。
 特に『お兄ちゃん』呼びはどうにかしたかったのだけど、全くタイミングがつかずにいた。

 今日ほど男性に免疫がない事を悔やんだ日は無い。
 彼の心の境界線がどこにあるか分からず、会話が続かないのだ。
 これ以上は私の気が持たないと、電気を消して寝る提案をした。

 だがお兄ちゃんの部屋には、来客用の布団が無かった。
 どちらが布団で寝るかと議論し、最終的に一緒の布団に寝ることになった。
 ……なぜ?

 頭にハテナマークを浮かべながら一緒に布団に入る。
 あれほど待ち望んだ人肌だけど、満たされた満足感より緊張の方が勝った。
 余裕のあるお兄ちゃんが羨ましい。

 さすがに一睡もできないことを覚悟していたが、いつの間にか寝入っていた。
 外が明るさで目が覚め、寝起きの頭で一安心と思ったけど、まだ危機は去っていなかった。
 布団の中で、お兄ちゃんに抱き着いていたのだ。

 無意識のうちに、愛用の抱き枕のつもりで抱きしめてしまったらしい。
 お兄ちゃんにバレたら、私は恥ずかしくて顔を見れなくなるだろう。
 そうなる前に手を引こうとすると、お兄ちゃんが身をよじる気配がして、ピタリと動きを止める。
 もしかしたら眠りが浅いのかもしれない。
 起こすのも悪いと、とりあえず寝たフリをすることにした。

 今日が休みでよかった。
 いくらでも寝ていられる。
 ……いや、平日だった方が、朝の忙しさを理由に誤魔化せたのかもしれないのに。
 上手く行かないものだ。

 それにしても、これは心臓に悪い。
 確かに人肌が欲しかったが、これでは生殺しだ。
 もっと気楽に温もりを感じたいのに、どうしてこうなってしまったのか……
 
 それにしても人肌は良いものだ。
 側に誰かがいるというだけで、とても安らかな気持ちになる。
 布団の暖かさと相まって、とても心地よい。
 このまま眠ってしまいそうだが、そうもいかない。

 ああ、それにしても。
 誰かがいるっていいなあ。

 幸せな気分で、満たされて、このまま眠ってしまいそうだ。

11/15/2025, 2:13:17 AM