さよならを言う前に
彼がここを去ると言ったのは、あまりにも突然のことだった。いつも通り彼と遊んで、たまにはちょっと冒険して。そんな普通がずっと続くと思っていた。
「じゃあ、そろそろ……」
そう切り出した彼の表情は、相変わらずわからなかった。真っ白いのっぺらぼうの仮面をして、自分の事を何も悟らせない人だった。私は彼の手を握る。
「待って。少しだけ、もう少しだけ、話してちゃダメ?」
胸が詰まって、言葉が詰まる。楽しかった、とかありがとう、とかの月並みな言葉しか出てこなかった。
それでも優しく頷いて、彼は耳を傾けてくれた。
こんなに別れが惜しくなるなんて、思いもしなかった。一緒に過ごしたのはたったのひと月なのに。
とうとう言葉が出てこなくなって、手を握ったまま俯いていると、
「大丈夫。そんなに心配しなくても約束するよ。俺は帰ってくる。いつかの春、またここを訪れる。」
「本当に……?」
私はとうとう泣き出してしまっていた。彼は私を安心させるように、手を握り返してくれた。
手を離して、彼を見送る。
「それじゃ、さよなら。また会おう。」
「うん、さようなら……!」
さよならを言う前に気づいた恋は、ひどく苦しいものだった。それでいい。もう少しだけ、この気持ちを背負っていたい。
8/20/2023, 10:39:28 AM