うどん巫女

Open App

手を取り合って(2023.7.14)

わたしが8歳の頃。母が病気で亡くなった。病気が見つかった頃にはもう末期で、あっけなく逝ってしまった。母の死が衝撃的すぎて、死というものが理解できなくて、悲しむより呆然と立ちすくむわたしの手をとって、父は言った。
「父さんじゃあ母さんの代わりにはなれないけど、精一杯頑張るから。ユキも、一緒に頑張ってくれるか?」
そのときわたしが何と答えたかはもう覚えていない。けれど、その後の父は男手一つでよくわたしを育ててくれたと思う。父は町工場で働いていて、けして裕福な家庭ではなかったが、わたしのことを何よりも大切にしてくれた。
わたしが泣いている時、悲しんでいる時、怒っている時、父はわたしの手をとって、じっと私の顔を見つめて、諭すように語りかけたものだった。そのときの父の顔は至極誠実で、真摯で、怒りも悲しみも父の顔を見れば不思議と少しおさまった。
高校に入学すると、わたしはいわゆる反抗期になった。父はけして理不尽なことは言わなかったけれど、時々過保護すぎるきらいがあって、それがわたしにはいつまでも子供扱いされているようでもどかしかった。父がわたしを諌めるためにわたしの手を取ろうとしても、わたしは逃げるようになってしまった。
高校を卒業して就職して、それからはなかなか実家に帰れなかった。慣れない仕事で大変だったこともあったが、これまで育ててもらった分、父に恩返しをしようと必死で働いていたということもあった。
わたしが32歳の頃、父が病気になった。奇しくも、母と同じ病だった。ただ、母とは異なり早期発見ができたために、早くから治療を始めることができた。医療費はけして安いものではなかったが、それまでに働いて貯めていた貯金があったのでなんとかなった。
しかし、治療も虚しく父はだんだん衰弱していった。ある日、父の主治医から、もう父が長くないことを告げられた。蒼白になりながら、ふらふらと父の病室に向かうと、最近では珍しく父は体を起こして窓の外を見ていた。病室に入ってきたわたしに気づくと、父はわたしを呼び寄せて、わたしの手をとった。久しぶりに触れた父の手は、古い傷やしわだらけで、記憶の中の父の手より随分小さく感じた。
「ごめんなぁ、父さんのせいで、こんなに苦労かけて。」
弱々しく笑う父。わたしは、涙を堪えきれなかった。それはわたしの言葉ではないのか。こんなに手が荒れ果てるほどの苦労を、わたしはこれまで父に課してきてしまったのだから。
嗚咽で何も言えないわたしをあの真摯な眼差しで見つめながら、父は一言、「ありがとうなぁ」と呟いた。
父が亡くなったのは、その3日後のことである。
わたしは一月に一度程度、父と母の墓参りに行くたびに、墓石にそっと手で触れる。もう、直接父の手を握ることは永遠にないけれど、そうすることで、父のあのあたたかく大きな手と誠実な表情を思い出せる気がするのだ。

7/15/2023, 8:45:20 AM