NoName

Open App

神経質というほどでもないですが、日常生活での変化に気づいてしまいます。
変化とは良いことばかりではない、そう悪い変化もあるのです。

私は大学生の頃からすた丼の店が好きでよく通っていた、パンチのきいた肉が実にご飯にあう。メシ増しは当たり前でその上肉増しメシ増しなんてすることも多々あったしコッテリ自分好みに食べられる油そばをつけることも多かった。

すた丼の店は確かにすた丼がメインではあるが、他のメニューもオススメだ。肉とピーマンを特製のタレで炒めたニクピーも美味かった。すた丼にはない食感が好みでよく注文した。この他に外せないのがチャーハンだシンプルなチャーハンにすた丼の肉はもちろん餃子や新名物からあげもあう、メインであり名脇役。

しかしそれも今は昔すた丼のトッピングや季節のメニューの充実したすた丼屋にはニクピー丼もチャーハンも油そばも餃子すらない。
多角的なチェーン店展開によるものか、熱気を感じられた厨房のガラス窓は木の壁に。調理のLIVE感の喪失は味にも直撃、熱気の感じられない侘びしさと寂しさでデカ盛りにも関わらず心が震えない。

メニューを1つ無くすというのは些細な事でも、それがいくつも重なると熱狂的に通っていたあの頃には戻れないそう感じる。味つけだって卓上の調味料で好みの味つけにするそうそう変化していないはずだ。変わったのは私の心なのだろうきっと老いへの入口なのだ。

些細な事でも
※反省点 いい変化に関して書こうかなぁと開いた時には思ったのですが、早々に悪い変化の話に。具体的な名前を出したのはそれだけ私の喪失感の現れかなと思います。ここまで語って最後の締めの文章はもっとパンチだしたかったかなぁ、そこは今のすた丼と同じですね(苦笑)。

9/3/2023, 11:01:21 PM