ドルニエ

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 この季節といえば桜の花びらと黄砂だ。この国に来てから最初の春。この散った花びらがどこへ行くんだろう、と思ったのと、あのひとの、もう処分してしまった二人乗りの車のガラスを汚していた砂粒が怖かったのを憶えている。洗濯物を外に干すのがメジャーなのに驚いて、それに慣れたころにこの砂のことを知ったものだから、その衝撃の深さは察してほしい。
 そういうわけで、美しいかもしれないが同時にちょっと困った季節だというのが俺の「日本の春」のイメージだ。

「客は帰ったか?」
そう言って事務所にあのひとが入ってくる。分かっていて入ってくのだから何を言っているんだろう、と思うのだが、それも無駄な問いなので口にはしない。
「また爆死ですか?」
 グラスに氷を満たし、紅茶を注ぎながら尋ねるが返事はない。今日、新しいガチャが実装されたのを聞いていたから、わざわざ降りてくる用があるとすればそんなところだろう、と思ってのことだった。
 グラスを置くとすぐにそれに手が伸ばされ、ソファに寝そべって端末をいじっているあのひとの口もとに運ばれていった。
「一体は引けたんだが、そのあとが駄目だな」
 スキルがどうとか、ステータスの伸びがどうとかぶつぶつと言うが、これはおそらくひとり言だ。俺がそこまで詳しくないことくらいこのひとは分かっている。
「そういうわけでまた引いてくれよ。2回でいいから」
「当たらなくても怒らないでくださいよ?」
 そう言いながら端末を受け取り、画面に触れる。中あたりのエフェクトが出るが、最高レアのキャラクターは出ない。横で演出を見守っていたあのひとが唸る。何千回見ているのか分からないが、エフェクトをスキップすると文句を言うので数十秒とはいえいい加減にはできない。が、あのひとが横で息を殺して見守っているのを意識すると、ほんの少しの甘い気持ちが忍び込んでくる。続けてもう一度。今度はエフェクトはなし。次々と結果が表示されていき、一度最高レアの演出が出るが、どうやら目当てのキャラクターではなかったようで、あのひとはぼふりとソファに沈んでしまった。
 すり抜けで出てきた高レアキャラについて訊くと、強いのだがすでに完凸していて旨みはないという返事が返ってきた。
「しょうがない、そのへん歩いてくるよ。邪魔したな」
 残されていた紅茶を飲みきるとあのひとが立ち上がる。そういえば外に出られるような格好をしている。
「俺も行っていいですか?今日はもうお客さん来ないので」
 そう声をかけると、扉の前で少し意外そうな顔であのひとは振り向いた。
「構わんが。どうした、甘えたくなったか?」
「そんなところです。行きましょう」
 俺はあのひとに並ぶと、あのひとの腕をとる。少し冷えてきていたのか、触れている部分がすぐに温かくなってきて、胸がざわつく。
 階段を降りきって、通りに出るタイミングで一旦腕を解いてサングラスをかける。
「大好きですよ、ヴィオラさん」
「なんだ、いきなり?」
 ちょっと意外だ、という顔であのひとが目をのぞき込んでくる。
「いえ、なんか言いたくなって」
 そう言って体を寄せて軽い口づけをする。
「春だから、か?」
「一年中大好きです」
 知らず、ちょっと拗ねたような声が出る。あのひとはあきれたように俺を見ると、知るか馬鹿、とだけ言って歩きだす。自然俺は引きずられる形になるわけだが、その感触さえも愛しくて、俺は絡めた腕の感触を、もう少しだけ強く意識した。

3/27/2025, 10:53:06 PM