薄墨

Open App

窓の外には、真っ暗な夜空が広がっている。ネオンや電灯で彩られた夜景と、暗く染まった大気。
外からは微かに、雨の降る音が聞こえる。

僕は、フローリングの床に転がるデジタル時計を眺める。
時刻は23:59:48。もうすぐ日付が変わる。

どうしてこんなことになってしまったのだろうか。
僕は外を眺める。
遠くでゴロゴロ…と雷が鳴る。

「大丈夫。」
あの子の声が、頭の中にこだまする。
「大丈夫だよ。心配しないで。私、待てる。」
あの子がそう言ったのは、もう一年も前のことだ。

「お前の“大切なもの”はそれなんだろ?」
アイツの声が、耳小骨を震わせる。
「こっちのことは気にすんな。お前にとっての“大切なもの”を守れよ」
アイツがそう言って、僕の隣から外れたのは、一昨日のことだ。

「貴方にとってそれが大切なら、応援しますよ」
彼の声が、海馬を巡る。
「貴方は私たちにとっての希望で、“大切なもの”です。私はいつでも貴方の、“大切なもの”の味方でいたいのです」
彼がそう言って、僕の背を押してくれたのは、いつだったか。

「やあ、君っていつもそうだね」
ネオンの夜景の中、僕の目の前で、背の高い“ヤツ”は、その長い尾をしならせながら、カツカツと歩く。
「君はいつもそうだ。自分の信念しか見ていない。理想しか見ていない。前しか見ていない。だから足元を掬われるんです。」
ヤツは、僕を見るとニンマリと笑う。

「君の敗因はそこだ。残念です。」
「しかし、そのおかげで、君_いや、貴方は__私にとっての“大切なもの”になったのです。」
ヤツは_彼は僕の目を覗き込み、口の端を吊り上げる。

…悪魔だ。

「君は私にとって“大切なもの”。私が、穢れた口だけの“アドバイザー”から、純粋な行動を起こすための“悪役”になるための、初めての“犠牲”となるわけですから!」
彼はいつものような柔らかな笑みで、けたたましく、高らかに笑う。

「もちろん、殺しはしませんよ。貴方は私の悪行を語り、新たなる“英雄”を、“革命”を呼ぶ“語り手”となってもらうのですから!」
彼は銃を構え…ふと銃口を逸らし、ジッとこちらを見つめる。

「…ああ、そうだ。君を気絶させる、その前に一つ聞いておきましょうか。貴方の“大切なもの”。ここまでして守りたかったものはなんなのですか?」

僕は搾り出すような、蚊の鳴くような声で答える。
もう無理だろうと諦めながら、それでも、それが彼を引き戻すという一縷の希望を込めて。

「どれだけ無理だと言われても…僕は…僕は…君と、アイツと、あの子と…それからこの組織の……家族同然の…“絆”が大切で……守りたかったんだ…」
カチリ。彼の腕時計の針の音が聞こえた。

4/2/2024, 1:09:50 PM