葉月

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「私の当たり前」

 これは千差万別で、それぞれの人の当たり前は、少しこだわりのある「私の当たり前」だろう。
 あまり考えずに即答すると、それは他人に自分の考えを押しつけない。強制しない。ことかと思う。
 私自身のこだわりは特異で(夫だけは別だけど)他の人と共有できるものではない。この事を学ばせてせくれたのは息子だ。まず私が母親であるのは、息子の存在が、そうさせている。私は息子から多くの事を学んだ。
 子宮の中の羊水は海水に似ていて、細胞分裂を繰り返す胎児は、生命の歴史をおよそ十カ月をかけて進化する。自分自身の体の中で別の生命が人間へと進化していく、その事は神秘以外の何ものでもない。
 ある時、星野道夫氏の『長い旅の途上』でカリール・ギブランの詩に出会い、それまでの自分の考えを改めた。この詩に比較的早く出会えて良かったと思う。
「この子は神さまから預かっているだけ」そう考えるようになった。
 だから小学生の頃に始まった反抗期が、いまも続いているような息子だ。でも、それで良い。誰に強制される事なく自由であれば良い。私もキツイ事を言う事はあるが「この糞ババア」と叫べば良い。幸い息子から、そう言われた事はない。
 自分の考えを言っても強制せず、最終的な決定は息子に任せる。簡単な様だが、かなりの忍耐を要した。
 いまは当たり前になった。この文言に反論はいくらでも出てくるかと思う。賛否両論あって当たり前である。その度に周囲に合わせて流される事はない。歳をとって随分と頑固ババアになりました。
 最後に、息子よ。ありがとう。お前のおかげだ。



7/9/2023, 12:48:33 PM