sairo

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水底を漂う夢を見る。

髑髏《しゃれこうべ》が嗤う。
歌いましょう、踊りましょう、と手招いて。
憎みましょう、呪いましょう、と囁いて。

水面は遥か遠く、戻る事は出来ないだろう。

嗤う髑髏に手を伸ばす。
永く沈んでいるせいか肉も皮も水に溶け、指先から白に染まっていく。そうして余分なものが剥がれ落ち、白だけが残った体で。
白い骨の指先で。髑髏に。


「駄目!行かないで」

焦る声。大事な、大切な、人の。
ここでは聞こえるはずのない声に、思わず手を下ろし。

視界を塞がれる。何かに抱き竦められて身動きが取れない。
見えず。動けず。聞こえたはずの声すら今はなく。


沈んでいた意識が浮上する。





目が覚めた。
白い天井。白のカーテン。寝ているベッドさえ白く。
いつもの病室の光景に、またかと密かに嘆息する。
こうして倒れるのは何度目か。倒れて、それでも戻って来てしまう事を、あと何度繰り返すのだろうか。
どれだけ調べても原因は何一つ分からず。いつ何をきっかけとして起こるのかすらも分からない発作。唯一はっきりしているのは、症状が溺れている時のそれに似ているという事だけ。

困惑する医師や看護師と、悲しむ両親の顔を思い出し、少しだけ憂鬱になりながら手元のナースコールをいつものように押した。



心電図モニター。サチュレーションモニター。酸素マスク。点滴。
慌ただしい看護師と険しい顔の医師。
いつもとは違う重々しい様子に、内心で首を傾げる。されるがままに検査を受け、言われるがままに質問に答えて。
医師の話ではどうやら十日も意識が戻らず、一時は危なかったらしい。
通りで、と納得しながらも、終わらない検査に閉口した。



ようやく解放されて、一息つく。
おそらく両親にも連絡しているのだろうから、もうすぐしたら今度は二人を宥めなければならない。今の間に少しでも休もうと、目を閉じた。

そういえば、今回はどこで倒れたのかと記憶を手繰り。目が覚めてから一度も声が聞こえない事に、ふと気がつく。
嫌な予感が、した。


「彩葉《あやは》」

聞こえた声に、ぎくりとする。
酷く凪いだ、それでいて優しさや悲しさを含んだ声音。意識を失う前に聞こえた声と重なって、意味もなく泣きたくなった。

「ご両親に連絡致しました。意識が戻られた事に、たいそうお喜びになられていましたよ。もうすぐ来られますからね」
「住職様」

目を開けて、椅子に座る住職に視線を向ける。
泣きそうだなと、何故か思った。昔も今も、そんな表情は見た事ないはずなのに。
心配をかけてしまった。迷惑になってしまった。その事実に胸が苦しくなる。

「彩葉。決して過去に手を伸ばしてはいけません。貴女は今、ここで生きているのですから」

あぁ、知っていたのか。
それとも背後にいる二人の影が告げたのか。
影は何も言わない。私の中に残る影も、ずっと黙ったままだ。

住職は、法師様は、どこまで覚えているのだろう。影となった彼女達を、どこまで正しく認識しているのだろう。
覚えているならば、認識しているならば。私のこの歪を理解しているはずだ。それなのに何故、留めようとしているのだろうか。

「彩葉」
「駄目だよ、法師様。いけない事、正しくない事だよ」

視線を逸らし、目を閉じる。胸が痛い。息が苦しくなる。
まるで溺れているみたいだ。

「私はもう『成って』しまったのだから」

影が騒めく。
悲しむ声。悲嘆する声。誰かに手を掴まれ、引き留められて。

お願い法師様、と影が願う。

「今更だ、彩《さい》。正しくない事など承知の事。だが、それでも儂は」

法師様の声。影の声。
混ざり合って、留めるための鎖になる。


繋がれた誰かの手を握り返しながらも。
還れない事を哀しいと、そう思った。



20240803 『病室』

8/4/2024, 5:00:40 AM