「降り止まない雨はない」
かつてニンゲンの世界には、そんな言葉があったらしい。
雨は今日も降っている。
ワタシは水溜りに両足を浸したまま、空を見上げる。
雨粒が身体の節々に痛い。
今日も酸性雨が静かに降り続いている。
雨音に耳を澄ます。
錆びついた音声認識プログラムが、規則正しく続く雨音の波の中に、微かな揺らぎを発見する。
今日も来た。
バグだ。
バグ…昆虫に似せて作られた、合皮シリコン製小型の撮影軍事ドローンの通称。昆虫の姿形、羽音を極限まで再現されていることから、虫けら-bug-と呼ばれるようになった兵器の一種。
開発、運用されてから、その隠密性と機動性を評価され、各国でこぞって研究された。
材料費も場所も取らないバグの研究は、どの国でもこぞって進められた。
今では、超小型カメラや生体感知センサー、暗器、製造国によっては人工知能まで仕込まれ、一躍、兵器の常識にまで躍り出た兵器だ。
そして、そのバグに対抗するための術も作られた。
それがワタシたち、“虫取り少年”と呼ばれる、機械兵器だ。
ワタシたちは、バグの生体感知センサーに勘付かれないよう、外皮、内部機構ともに、全て金属で構成されている。
ワタシたちは、空気抵抗に特化した音声認識プログラムで、バグと自然界の虫の僅かな羽音の差を聞き分け、バグを処理してきた。
この酸性雨が降り始める前までは。
突然、地球全土に降り注ぎ始めた酸性雨は、一向に止む気配がなかった。
ワタシたちを生み出したニンゲンたちは、「神の捌き」だとか、「環境汚染の影響」だとか、語り合っていたが、やがて居なくなった。
ワタシたちは、ロボットである。
ロボットは、主人ではなく命令に仕える存在。
ワタシは命令通りバグを叩き落とし、バグは命令通りワタシから逃れて送る宛のない情報を収集し続けた。
ダが、ワタシは劣化した。
酸性雨が関節に染みるようになり、雨粒が外皮を削り続け、ある日、踏み抜いた酸性雨の水溜りが、ワタシの足を繋ぎ止めた。
以来ワタシは、変わらない景色の中で、降り止まない雨をじっと眺め続けている。
唯一の楽しみが“バグ”だ。
バグは、収集した膨大なデータを溜め込んでいる。
人工知能を搭載したワタシと、同じように知能を持つバグは、雨が降り注いだ長い長い戦争期間を経て、お互いに、ある種異質な親しみを持つようになった。
ワタシたちは、今では、帰るところのなくなったバグの帰るところとなり、バグは動けなくなったワタシたちの慰めとなった。
バグの羽音が近づいてくる。
今日はどこへ行って来たのだろうか。
分厚い雲が重たく垂れ込めた中空を、バグが忙しなく飛んでくる。
飛行パーツに触れる降り止まない雨粒を、重そうに払いながら。
空を見上げる。
厚い雲から、降り止まない雨がいつまでも降り注いでいた。
5/25/2024, 12:41:12 PM