どこかで聞いた音だと、微睡みながら男は思った。
重いまぶたを押し上げて時計を見ると、時刻はまだ六時を過ぎたばかりで、閉じたままのカーテン越しにようやく景色が白み始める頃だった。
どこで聞いた音だったか。
ベッドの上で体の向きを変えながら男は考える。
まだ完全に目覚めてはいない体はひどく重くて、ひとつ動くたびに眠気が襲ってくる。半覚醒なのはさっきからずっと、微かな音が聞こえているからだ。
ゆっくり頭を巡らせると、灯り取りの小さな窓がほんの少し空いていた。音はどうやらそこから聞こえているらしい。
耳を澄ます。柔らかな音が途切れることなく続いている。つい最近もどこかで聞いた音だ。
心地よい音だった。
静かでやさしいその音は、男にずっと聞いていたいと思わせて、だが音だけが理由では無いと男に思い知らせていた。
庭だ。
男は思い出す。
一昨日、裏の小さな庭で聞いた音だ。朝ではなく、夕方だった。柔らかな音と時折土を踏む足音。穏やかな時間が流れていた。
同居人が如雨露で花に水をやっている。
楽しげな背中をぼんやり見つめる。
さぁさぁとやさしい音がする――。
男は緩慢な動作でベッドから下りると、カーテンを両手でゆっくり開いていく。
明るい灰色の空。
張り出したベランダがしっとり濡れている。
雨粒は見えない。
さぁさぁと鳴るやさしい音。
背後のドアが空く。
「あ、起きた? 珍しいね、あなたがこんな時間まで寝てるなんて」
「――」
「あんまり気持ちよさそうに寝てたから、起こしちゃ悪いと思って。今日は休みだし。ごはん、出来てるよ」
雨音に重なる声。
静かでやさしいその音は、ずっと聞いていたいと思わせて·····。
口元が緩むのに気付かぬまま、男はリビングへと向かった。
END
「やさしい雨音」
5/25/2025, 4:44:37 PM