【1年前】
花屋なんて寄ったのは子供の頃に一度だけ、夕飯代として置かれていた千円札を握りしめて出かけた母の日以来かもしれない。慣れない場所にいる気恥ずかしさと、数えきれないほどの花の種類への戸惑いを必死に押し隠して、さも慣れているようなフリでどうにか手に入れたガーベラのミニブーケを片手に、帰り道を歩いていく。
「ただいま」
鍵を回し家の扉を開ければ、柔らかな橙色の光がリビングを満たしていた。真っ暗じゃない家なんて最初はおっかなびっくりだったけれど、気がつけばすっかりと馴染んでしまった。
「おかえり」
在宅で仕事をしている君は、いつもこうやって俺を出迎えてくれる。それが俺にとってどれだけ安心できるか、きっと君は知らないのだろうけれど。
「あのさ。これ、良かったらリビングに飾りたいなって思って」
ドキドキとうるさい心臓の鼓動を必死に殺して、花束を君へと差し出した。1年前、君とルームシェアを始めた日。どうか明るい毎日になりますようにと呟きながら、君が飾ったのと同じ花。
ぱちりと君の瞳が瞬く。一度、二度、そうして卓上に置かれたカレンダーへと視線を動かし、君は恥ずかしそうに笑った。
「そっか、ちょうど今日で1年なんだね」
すっかり忘れてたよ、ごめんね。なんて軽く謝りながら、君は壊れ物でも扱うみたいに優しい手つきで、俺の手の中の花束を撫でた。
君と暮らし始めて1年。トラブルもあったけど、それ以上に楽しい毎日だった。だから。
「また1年、よろしくお願いします」
「あはは、こちらこそよろしくお願いします」
ぺこりと互いに頭を下げ合って、小さな小さな記念日を祝い合う。そんな幸せな日々が、どうかこれからもずっと続けば良い。そう願いながら、純白のガーベラの花束をぎゅっと握り込んだ。
6/16/2023, 10:52:10 AM