真岡 入雲

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「そうねぇ、ブラック企業の無能上司と社畜ってところかしら」
「………え?」

涼しい顔をしてそんな事を口にしたのは、高校からの親友だ。
高校入学直後、カーストトップにいた女子生徒の気分でイジメのターゲットにされた私は暗黒の高校生活を覚悟していた。
そんな私を救ったのが彼女だ。
まぁ、彼女からしてみれば救ったとかそんなつもりはこれっぽっちもなかっただろう。

その日私は1冊のノートを図書室に置き忘れてしまった。
中学の頃から勉強の合間に書き綴っていたオリジナルのファンタジー小説を書いたノートで、その時既に7冊目に突入していた。
小説を書くのは私のストレスのはけ口で、故に話の中身も、冒険あり、恋愛あり、ミステリーあり、謎解きあり等など何でもありのごちゃ混ぜ話だった。
そんな14歳の妄想全開な話を書いたノートを忘れてしまったのだ。
全身の血が凍るとはこの事か、と思うほど血の気が引いた。
心臓が止まるかと思うほどの全力で、駅まで歩いた通学路を引き返して図書室に滑り込むと、そこには真剣な眼差しで私のノートを手にしている彼女がいた。
奇声を発しながら飛びかかった私を彼女は華麗に避け、私は机の上をスーパーマンが飛ぶように滑り反対側に頭から落ちた。

『大丈夫?』

強かに打ち付けた頭をさすっている私の頭上から、どこか呆れたような声が降ってくる。
視線を床から声のした方へと転じると、そこには私の顔を覗き込む、ビスク・ドールのような顔をした美少女が立っていた。
こんな顔で生まれたら人生バラ色だろうな、とか、化粧でどうにかなるレベルじゃないよな、遺伝子の違いはどう頑張ったって覆せるものではないな、とか、ぼぅっと考えていた私の視界に例のノートが映りこんだ。
咄嗟に手を伸ばすと、ノートはひらりと私の手を躱して遠のく。
さっ、ひらり、ささっ、ひらひらり。
どれくらい、その攻防を交わしていただろうか。

『あなたのノート?』

恥ずかしい、けれど返してもらわないともっと恥ずかしいことになる可能性が高い。
腹を括って私は真っ赤な顔で頷いた。

『凄いわ!』
『へっ?』

いきなり視界が真っ暗になった。
そして頬に当たる柔らかい感触。
ふわぁぁぁ、気持ちイイ…、天国だぁ、ってそうじゃない。
耳元で何やら色々話しているけど、何語だろう…、日本語ではないような?

『7冊目!?という事はこれの前に6冊もあるのね?』
『え、あ、うん』
『是非とも読ませて!』
『いや、その、恥ずか……』
『何を言っているの!コレは才能よ!恥ずかしがる必要は全然ないわ!』

聞けば彼女は図書委員で、図書室の戸締りをしようとしていた時にノートを見つけたそうで。
で、中を見れば誰のかわかるかと思い開いたところ…読むのに夢中になってしまった、と。
母親が日本とドイツのハーフで、父親はフランス人という彼女は凄くサバサバとした性格だった。
だから、という訳では無いだろうが、イジメのターゲットになっている私にも気さくに話しかけるし、嫌なものは嫌だ、間違っていることは間違っていると、キッパリと自分の意見を言う。
そんなこんなで、高校の3年間はイジメもそこそこありつつも彼女と楽しく過ごすことができ、大学も彼女が留学するまでは一緒のキャンパスに通うことが出来た。
その間私は彼女の勧めもあり、書き溜めた小説を手直してネットにアップした結果、今は作家として活動している。

「ねぇ、七夕がどうしてブラック企業の無能上司と社畜になるの?普通こうもう少しロマンチックな感じじゃない?」
「ん〜、まず、二人を引き合わせたのは天帝で、その結果2人は結婚して蜜月を過ごす。その間2人は仕事をしていなかったため、方々に迷惑がかかった。故に天帝は2人を引き離し、仕事をすることを条件に1年に1度会うことを許した。っていうのが七夕の要約よね」
「う、うん」
「天帝、コレが無能上司よ。部下の仕事の管理を怠ったが故に、2人が仕事をしていないことに気が付かず周りに迷惑をかけてる。まぁ普通ならこの時点でクビね」
「は、はぁ」
「次は仕事をすることを条件に年に一度の逢瀬って、どんだけブラック企業なのって話じゃない?しかもそれに大人しく従うあたり、2人も社畜だわ。私ならすぐ辞めるわ、そんな仕事」
「あ、はい」
「しかも、これ最悪なのが天帝は織姫の父親なのよ。自分で娘の相手を決めてきて、結婚させて、2人が仲良くなったら引き離すとか、親失格じゃない?それに考えてもみて、もしよ?もしも年1回の逢瀬で子供が出来たとして、その場合子育ては全部母親がやることになるわよね?しかも父親は子供に年1回しか会えない…酷くない?」
「ははは…」

おかしいな、七夕ってこう、もっとロマンチックな感じだった気がするんだけどな。
でも言われてみれば、確かにって気もするし......。
織姫と彦星の伝説って、もう現代には合わない…のかな?

「そうそう、この間頼まれていた通訳の話、日程調整ついたよ」
「本当!良かったぁ」
「それにしても3ヶ月も取材旅行だなんて、思い切ったね」
「うん、まぁ話を考える上で必要だし、それに今はネット環境さえあればどこでも書けるから」
「ドイツ、フランス、イギリス、スペイン、トルコ…うん、思いっきり楽しもう」
「よろしくお願いします」
「任せて!」

妄想だけではどうしてもふわふわしたイメージしかわかなくて、現実味を加えるために色々と考えた結果、作家デビュー10年目を機に、長期取材旅行を決心。
通訳を仕事にしている彼女の時間を少し分けてもらっての女二人旅。
彼女と一緒だから、行こうと思った。
彼女と一緒だから、すごく楽しみ。

その旅行で、彼女と私に一生に一度の出会いがあったことはまた別のお話。


7/8/2024, 3:34:12 AM