sairo

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「また見てるの?」
「ごめんね」
「別に謝ることじゃないけど……でも、そうやって見てても変わらないと思うよ」
「うん……」
「他になにかやりたいことない?行きたいとこでもいいし」
「ここでいいの。ありがとう」
「――しょうがないなぁ」
「ごめんね……分かってるけど、まだ見ていたいの」

そう言って、彼女は幸せそうに微笑んで、手の中の古ぼけたスマホを抱き締めた。



夜。ベッドの中で密かに息を吐いた。
この家に来てから、彼女はずっとスマホの画面を見つめている。既読がつかない最後のメッセージを指でなぞり、目を細めて微笑んでいる。
寝返りを打つ。手を伸ばして、ベッドサイドの上のスマホと取った。
電源を入れ、ロックを解除する。
そのまま指は滑るようにメッセージアプリを立ち上げた。
彼女から送られたメッセージの一番下。文字化けして読めない、短い文を見て目を細める。

――あいたい

たった四文字。彼女は送ったのだという。
送れた、と言った方が正しい。彼女のスマホはとっくの昔に解約されて、部屋の片隅に転がっていたのだから。

「ごめんね。でも来てくれて……連れ出してくれてうれしかった」

スマホを抱き締め、窓辺で空を見上げていた彼女がぽつりと呟いた。

「私こそごめん。もっと早く、行動していればよかった」

横になったまま、彼女に視線を向ける。開けたカーテンから差し込む月明かりが、彼女に影を与えないことが寂しかった。

「気づいてたって、言えばよかった。家に縛られないで自由になっていいんだって言えたなら、きっと苦しむことはなかったのに」

鴨居の下で揺れている彼女が脳裏を過ぎる。家に縛られ続けた彼女の苦しみに気づいていて、何も言えなかった。自分の弱さがただ憎かった。
視線をメッセージへと戻す。彼女が送ったメッセージの下、最後に自分が送ったメッセージを、そっと指でなぞった。

――すぐ行く。

たった一文。決して既読がつかないメッセージに、きっと彼女は気づいていない。

「明日、外に行かない?」

無駄だと思いながら、声をかける。
今までどんなに誘っても、彼女はここから動こうとはしなかった。家に縛られすぎていたためなのか、彼女のスマホがここにあるからなのかは分からない。
いつ訪れるか分からない別れ。せめてその前に、一つでも思い出を作っておきたかった。

「――お願い。もう優しくしないで」

予想とは違う言葉に飛び起きた。
視線を向けた先の彼女は、穏やかに笑っている。スマホを窓枠に置き、ゆっくりとこちらに近づいてくる。
手にしたままのスマホに触れる。彼女の視線が、既読のつかないたった一言のメッセージに注がれる。

「届くなんて思ってなかった……でも、届いた。読めないのに、メッセージを返してくれた」

慈しむように、彼女の指先が画面に触れる。

「気づいてたの?」
「幼馴染みで、親友だもの」

くすくすと彼女は笑う。笑いながら頬を滴が伝い、差し込む月明かりを反射して煌めいた。
まるで宝石のようだ。儚い美しさに、何故か目頭が熱くなる。

「息を切らせて駆け込んで来てくれて、届いたんだって思った。繋がったから、私はあの家じゃなくてあなたの側にいられる」

透ける彼女の手が頬に触れた。熱のない、冷たい手。でも彼女は確かにここにいるんだと、その冷たさが教えてくれる。

「繋がったのが嬉しいの。それだけで十分幸せなの」

彼女の指が目尻をなぞる。
気がつけば、自分もまた彼女のように泣いていた。

「けどね、どんどん我が儘になりそうなの。声をかけてくれて、誘ってくれて……ずっとこの時が続けばいいのにって思う。外の世界を見て、思い知らされて……いつか離れてしまうことが、怖ろしくて堪らなくなる」

ごめんね、と彼女が言った。

「お願い、優しくしないで。私を我が儘にしないで……あなたを、これ以上私で縛らせないで」

幸せそうで、悲しそうな微笑み。
離れていく手を咄嗟に掴み、両手で包んで彼女を見た。

「縛っていい。我が儘になっていい……私だって、我が儘になるから」

包んだ手に額を押し当てる。息を呑む彼女に届いてほしいと、願いを込めて目を閉じた。

「じゃあ、一緒にいて。ずっと一緒に……離れたくないよ。離れるくらいならいっそ、私も連れて行って」

吐き出す言葉は、祈りのように切なく、呪いのように昏く沈んで部屋に響き渡る。
大切な幼馴染み。一番の親友。
別れを受け入れられるほど、自分は強くはなかった。


「――明日はきっと、晴れになるわ」

不意に彼女が囁いた。
顔を上げる。彼女の視線を追って、窓の外の明るい月を見上げた。

「二人だけになれる所ならいいな。誰かに邪魔をされない、そんな静かな場所。昔みたいに手を繋いで、ただ歩いて行くの」
「っ、そうだね。色々な話をしよう。子供の時みたいに、日が暮れるまでたくさん遊んで……日が沈んでも、二人でいよう」

滲む月が揺れる。
そっと彼女の手が離れていく。

「じゃあ、また明日ね」
「うん。また明日」

涙を拭いて笑い合う。

不意に、ベッドに投げ出されていたスマホが点いた。
ロックが解除され、メッセージ画面が表示される。

「――あ」

一番下。
既読がつかないはずのメッセージに、既読がついた。



20250921 『既読がつかないメッセージ』

9/22/2025, 8:35:53 AM