茉莉花

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僕は記憶喪失だ。

中学一年生の時に遭った大きな事故がキッカケで、それ以前の記憶がすっぽりと抜け落ちてしまった。
自分の名前も、両親の顔も、何も思い出せなくなって、僕はふいに自分が異星に放り込まれたような、そんな空虚を感じた。
両親だという人に会っても、家というところに行っても、いろんな人から『僕』の名前を呼ばれても、少しもそれが『自分のものだ』という実感はわかず、むしろ全く知らない人に馴れ馴れしくされるのが、哀れみの視線を向けられるのが、悍ましくてしょうがない。

『僕』は地頭が良いらしく、とりたて苦労することなく高校にも合格した。
高校生になって、新しいクラスメイトができて……さして変化のない日常にも、もう慣れしまった。
きっと僕は、これからも借り物の体に借り物の名前で借り物の人生を生きていくんだろうな。
そう、思っていた。

「ねぇ、そこの君」
廊下を歩いていた時、ふいに声をかけられた。
「…何かご用ですか?」
声の主は才色兼備の優等生、としてちょっとした知名度のある女子生徒だった。しかし、中学校のクラスメイトでもなく、いわば『赤の他人』のはずだ。少なくとも、僕にとっては。
「ああ。君に提案があってね」
自信をたたえた瞳を細めて彼女は続けた。

「私と一緒に、生徒会長を目指さないか?」
「…は?」


この日が僕らの物語の始まりだった。

僕の物語のプロローグの。


そして、彼女の物語の、クライマックスの――――

4/19/2025, 7:33:33 AM