雪の灯

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わたしの好きな人はなかなか半袖を着なかった。

長袖を肘までまくり上げて、どうせまくり上げるなら半袖にしちゃえばいいのにな、なんて、こんな小さなことにも鼓動が逸るような、それでいてどこかあったかくなるような、そんな気持ちでわたしはいつも、みんなの前に立つその人を見ていた。
血管の浮く、引き締まった腕が好きだった。
周りの男の人たちと比べると少し小柄な身体をめいっぱいに動かして、楽しそうにつくりあげる音楽が好きだった。
詩と真剣に向き合う考え方も、擬音ばかりの指示も、よく通るテノールの歌声も。
その人が好きな音楽を一緒につくり出せることが、その音楽の一部になれることが嬉しかった。
わたしにできることなら、なんでもしたいと思えた。

今日もまた、長袖をまくってる。いつ半袖にするのかな。

今日は半袖だ!なんだかレアなところを見た気分になるな。

指揮者と奏者の距離の分を、どうしても踏み越えられずに立ち竦んでいた臆病なわたしは、流れていく短い年月を徒に見送って。

想いの分だけ小さな輝きを重ねていた、そんな日常を、
もう失ってしまった。


-半袖-

5/28/2023, 12:21:05 PM