どこにも書けないこと
男が私の腰に手を回してくる。
「ちょっとやめてよ。」
「おい、ここまで来ておいて、そのまま帰れると思うのか?」
男が覆い被さって来ようとする。私は自らブラウスのボタンを外した。
「分かった、分かったから、シャワーを浴びせてよ。あなただって気持ちいい方がいいでしょ?」
私の一言が効いた。男が一瞬動きを止める。私はその隙に立ち上がるとブラを外して男に投げつけた。男は右手でブラをキャッチすると、ニヤリと笑った。
脱いだブラウスを回収し、化粧ポーチを持ってシャワー室に向かう。生まれたままの姿になると、化粧ポーチからナイフを取り出す。男はシャワー室から戻った私の姿を見て驚愕の声を上げた。
「お前、男だったのか?」
「だったら何だって言うんだよ。」
私は先程までの女声を捨て、ドスを効かせて言い放つと、
後ろ手に隠していたナイフを男の首筋に突き立てた。
小さなナイフの一撃。だけどそれだけで男は二度と動かなかった。ナイフを引き抜くと大量の返り血が私の体を染めた。
私はシャワーを浴びる前に鏡に映った自分の姿を見る。返り血のドレスを着た私の姿は我ながらとても美しいと思った。
シャワーを浴び、男物の装いに身を包むと自分がいた痕跡が残っていないかを確認してからマンションの一室を出た。
男の名前は三嶋慎二と言った。芸能プロダクションの社長をしていて、テレビに出してやると言っては若い女をマンションに呼び、性的暴行を繰り返していた。今回はレイプされた娘の父親からの依頼だった。そう、私は殺し屋をしている。
長い間裸でいたせいか、風邪を引いたみたいだ。風邪薬を貰いに病院に行く。問診票に性別の記入欄があった。男と女。私は両性具有だ。睾丸に当たる部分に女の穴がある。小学校まで男の子の格好をして登校していたが、中学生になり胸が大きくなり始めると周囲からの奇異の目がイヤになり、転校して女の子としてやり直した。
今は一般人として過ごす時は男装して藤原充と名乗り、殺し屋の時は女装して鵜飼光里と名乗っている。
問診票に目を落とす。性別欄に私の性別を記入する欄はない。私の性別はどこにも書くことができない。小さい頃から性別欄を見る度に自分がこの世にいてはいけないような気分を味わった。
処方箋を貰って病院を後にする。私は三嶋慎二のマンションに向かった。犯人は必ず現場に戻ってくるなどと言うが、私もその一人だ。三嶋の部屋を見ると男がキョロキョロと部屋の様子を伺っていた。私の警戒信号が点滅した。あの男何かある。
「どうかされたんですか?」
「ああ、いえ、こちら三嶋慎二さんの部屋で間違いないですか?」
「そうですけど、刑事さんですか?」
「違います。小説家をやっておりまして、三嶋さんの事件を調べているんです。」
「本物の小説家の方に会えるなんて光栄だな。失礼ですがお名前を聞いても構いませんか?」
「あっ、水谷健斗と言います。」
「小説もそのお名前で?」
「はい、売れない小説家なんで知らないと思いますけど、三つほど単行本化されています。」
「そうでしたか、早速購入してみようかな。ところで事件を調べてると仰っていましたが、犯人の目星はついているのですか?」
「いえ、犯人を探している訳ではないんです。今書いてる小説の参考にしようと思っていまして。被害者の三嶋さんなんですが、首筋をナイフで一刺しされて殺されているんです。実は同様の事件が日本各地で起きているんですが、被害者の共通点が見つかっていないんです。被害者の居住地はバラバラ、関係性も見つかっていない。容姿や職業にも関連性が見出せない。」
「それは不思議ですね。」
「ただし、僕が調べた所によると、被害者は皆、相当女性関係がだらしなかったようなんです。中には被害者のせいで自殺された方も。」
「それは酷い。」
「そこで、ここからが僕の推理なんですが、被害者に近付くには女性の方が有利だと思うんです。なんせ被害者は無類の女好きですからね。ただし、女性の力でナイフで一突きというのは考えにくい。防犯カメラも女性の姿を捉えた物はないようなんです。となると男か?いや、犯人は女装した男なんではないか?」
「ほう。」
「今僕が書いている小説が性同一性障害の殺し屋が主人公でして、反抗現場までは男装して行くんですが、女装して被害者の部屋に入り、反抗を済ませた後は元の男装に戻って何食わぬ顔で出て行く。と言う手口を繰り返すんですよ。殺人の依頼主は娘を辱められた父親とか、性的被害に遭った女性とかなんです。」
「なるほど、さすが小説家だ。素晴らしい想像力ですね。」
「流石にちょっと荒唐無稽でしたかね。」
「いえいえ、小説としては良くできていると思います。」
「失礼ですが、このマンションの住人の方ですか?」
「はい、上の階に住んでいるんですが、気になって声をかけたんです。良く言うでしょ?犯人は犯行現場に戻ってくるって。」
「僕、怪しかったですか?通報されない内に退散した方がいいかな?」
「その方がいいでしょう。」
水谷健斗、勘のいい男だ。このまま放置しておく訳にはいかない。水谷の小説を出版している出版社を調べ、張り込みをして、一人の男に目星をつけた。古典的だが、飲み物を服にこぼし、お詫びがしたいからと連絡先を交換した。
その男は案の定、編集者をしており、水谷健斗のファンだと言うと、合わせてやると約束してくれた。キスの一回くらい安い物だ。編集者はいつも作家先生を接待するためのレストランで私に水谷を紹介した。もちろんその日のうち連絡先を交換した。
私と水谷はデートを重ねた。初めのうち水谷はたいそう緊張していた。純朴な水谷にとって私みたいな美人と話す機会などなかったのだろう。ゆっくりとゆっくりと水谷の緊張をほぐしていった。私も水谷とのデートを悪くないと感じていた。
そしてついにホテルに誘われた。私はホテルに行くことを了承したが、その代わり自分が予約したホテルにしか行きたくないと条件をだした。水谷に断れるはずがない。藤原充の名前でホテルを予約し、先にホテルに着くと女装を済ませてからLINEで部屋番号を教えた。舞台は整ったのだ。
部屋に入ってもいきなり事は始めなかった。雑談で場を和ませ、頃合いを図ってシャワーを浴びてくると告げた。
私は裸になると、ナイフを隠しもしないで部屋に戻った。
「やはり君だったか?」
「気付いていたの?」
「僕のような男に君は美しすぎる。それに以前三嶋のマンションで会った男性に似ていると思っていたんだ。」
「そう。最初から気付いていたのね。」
「しかし、残念だな。君の美しさを文章に残せないなんて。」
「見せられないのが残念だけど、返り血を浴びた私は今よりもっと美しくなるのよ。」
「今よりもっと?どこの誰にも君の美しさを書き残せるものはいないだろう。」
私はナイフを持つ手に力を込めた。
男の部分の私が、早く殺せとせき立てる。
女の部分の私が、殺したくないと泣きじゃくる。
性別欄を思い出した。どこまでいっても中途半端な私。
私はナイフを逆手に持ち帰ると、自分のペニスを切り落とした。
2/8/2024, 11:41:47 AM