nada

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それ、そうそれ。
いやそっちじゃなくて、それそれ。うん、そう。
それでいいと思ったんだよね。
それがって言えるほどポジティブな気持ちじゃないんだけどさ、選べる範囲で、まあだから、消去法で選ぶと、残ったのがそれ。
うん。
そりゃあさ、一目で確信が持てるのと出会うまで待てるなら、そうしたいよ。一目で確信が持てて、それを選ぶ力がそのときわたしにあってさ、そういうのに出会うまで待つのが、本当は理想。
こんかいのそれは、そういうんじゃないってこと。
だからどうしても、それでいいかなーってなっちゃうの。ていうか、そういう、環境に強いられて選ぶのもまあ、気が楽でいいかと思うことに、した。今回は。
これだ!って思えなかったんだから、そりゃ気分もあがらないし、ここがあとちょっと、そこもあとちょっと違ってたらなって、たぶん日々思うし、それに馴染むまではたぶん、苛立ったりもするよ。
でも、なんていうかな、主体的に選んだんじゃないから。
気に入らないのはわたしのせいじゃないし、って思えるっていうか。で、さ、しばらく、何日か、何週間か、何年かしたら、選んだことも忘れてるね。きっと。
でも気が楽じゃん。選んだ責任のぜんぶを引き受けなくていいって、ほんと、ひとのせいにできるし。
あ、他人の所為になる方が気が重い?へえ!
失敗が自分だけのものじゃなくなるからか…わかる。かも。うん。自分の所為で他人が責められるのはものすごく気が重い。
ううん、でも選択ってすごいパワーつかうから、無理なときも結構あってさ、あ、それはわかる?だよねえ。だから、他にやりようがなくて、“それで“ってなったりもするじゃん。
それをね、そんな悪いばっかりじゃないぞ、ってしときたいわけよ。意外と悪くないぞ。これはこれで、違った面白さがあるぞ、ってしときたいの。
だからそれでって選ぶこともやっていきたいわけ。訓練っていうの?
理想と違ったり、ずるかったり、怠けてたり、雑だったり、やれることなのにやってなかったり、やらなきゃいけないこともやってなかったりしてもさ、それでもまあまあ生きてるくらいで、やっていければな、と。うん。
それでって選んだんだから、わかってんだ。選び終わった後からあっちのがマシだったかもって思うわけ。だって正直どっちでもいいんだしね。
だけど選択を全部背負い込んだりはできないし、とはいえ、どっちでもいいのにどっちかは必要なんて、そりゃバカげてる。
バカげてるけど、だいたい選択とか結論とか、決着とか、決定とかそういうのっていつでもバカげてない?
考え続けるのは苦しいからさ、巨大な怠惰をまるっと無視して、もういいよそれで!ってわけ。

4/4/2024, 1:04:22 PM