ライ麦粉

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※2023.2.5 編集。ちょっとずるかったので一話追加しました。

 随分と静かな晩だった。
 雪解けにはまだ早く、底冷えのする寒さがしんしんと降りてはいたが、それでも、澄んだ空に浮かぶ月を戴きたくなるような、そんな夜だった。
 だからあの人なら、一人庭に出て、空を見上げていると思った。

 「ここに居られたのですか」
 
 果して、その勘は当たっていた。ただ違うのは、彼はその視界に、月ではなく街を収めていたことだった。

 「全く。いい加減ご自身の立場ぐらい、理解して頂きたい。護衛もつけずにこんなところで」 
 「五月蝿い。こんな晩に、鎧をつけたむさい男を側に置けと言うか、お前は。煩わしくてかなわんわ」

 そう言って、心底嫌そうな顰めっ面を私に見せるのだから、私は肩を竦めるより他に仕方がない。

 「せめてコートぐらい着てください。風邪を引かれては困ります」
 「はあ、この世話焼きめが」
 「それが仕事です」

 暫しの沈黙。この人は何を思っているのだろうか。隣に立って、その視線の先を追えば、私にも彼と同じものが見えようか。

 「……東の砦を、落としたそうです。隣国は、じきに降伏するでしょう」
 「…………ふむ。言った通り、勝ったであろう?」
 「ええ。全く、信じられませんよ」

 彼が、世界征服という大それた野望を、胸に抱いているのは知っていた。それでも、東の隣国を攻め落とす、と言った時には誰もが驚いた。隣国は大国だ。そんなことは出来やしない、と影で嗤ったものも多かった。
 しかしこの一件で、彼の評価は覆った。この方ならば、或いは本当に、世界をその手に収めてしまうかもしれない。そんな期待が国中に行き渡るのに、もうそうはかからないだろう。

 「東の隣国が領土となれば、我が国はいっそう豊かになるでしょう。そうしたら、今度は南へ攻めるのですか。それとも、西岸から海の向こうの異民の地を目指しますか」

 何れにしても、成せれば世界征服に大きく近づくことになる。

 「阿呆か。暫く戦はせぬ」

 思わず、彼の方を見た。

 「なんだ」
 「…………いえ」

 世界征服は、お止めになられたのですか。言える筈も無い言葉を確かに自分は呑み込んだ。
 ああそれなのに、貴方は豪快に笑ったのだ。

 「まさか。ただ戦争はいかんな。何分、金がかか
る。金をかけず領土が広がるのなら、それに越したことはない……そうだな、南とは、まずは国境を無くす事からだ。お互いの民が自由に行き来して、法の枠組みでの国境が曖昧になれば、いくらでも取り込む方法はあろう」
 「……では、それで国を一つ落とすのに、何年かかるのですか」
 「どれだけ早くとも、五十年はかかるだろう」

 耳を疑った。五十年だって?

 「早いな、確かに。戦を起こせば、そうして勝てば。たった一瞬この世を統べる、それだけであれば、血生臭いのも良かろうよ。だがそれではつまらぬ。それならば、この世の民を一人残らず根絶やしにし、空の大地に旗を立てればそれで良かろう。それと、何も変わらぬであろう」
 「ではこの世が統一されるのに、一体何年かかるのですか!」

 ──ああ。


 「千年、だ」


 貴方は、私に夢を見せてくれるのではなかったのか。
 
 「千年後、この国の玉座が、世界で一番高くなる」
 「…………それは貴方の手で成し得るものじゃあ無い。誰も、誰も! ……それを証明できないじゃありませんか……」

 他人事だ。何をそんなに熱くなっているのか。言葉にしてみて初めて気付く。
 思っているよりも悔しかったのだ、自分は。目の前の人物が凄いことを知っているから。
 
 「容易い事ではない。むこう千年、後に信念を託し、必ずそれが報われると、疑わぬものしかこの座にはつけぬ。……だが、人は確かなものにすがりたくなるもの。一抹の疑念を抱き、目先の欲に目が眩めば、そんな人間が一人でもいれば、夢は決して叶わぬ」

 ああ、語る言葉に血が通う。

 「──だからこそ面白い。揺るがぬ一つの意志を、他ならぬ、『俺』の意志を、後世に残すのだ。それこそ、千年先も、人を魅了する、夢を! 言葉を!! ──それが成されるという、絶対の、自信を」

 そして、遥か遠くを見据えたその目が、私の眼を真っ直ぐに射抜いた。

 「故に、それが叶ったのであれば、それすなわち、手柄は俺のものだ。全て、俺の名の元に集い、俺の名の元に勝鬨を挙げ、そして俺の名の元に、世界を一つにせんと足掻くのだから」

 ずるい人だ。冷めかけた心が、再び、いや、今まで以上に燃えている。あらゆる感情が胸の上で膨れ上がって、何故だか無性に喉を焼く。

 「……千年越しに、貴方は、再び玉座に、座るのですか」

 ああ、貴方のその顔を、私は決して忘れない。

 「誓おう。私は、世界を手中に収めて見せる」
 
 伸ばされた手は一真に月の光を浴びていた。私は直ぐ様頭を垂れ、その手に接吻を捧げる。

 「もうとっくに、この身は国のものでありますが。私の全てを、貴方様に捧げましょう。唯、貴方様の、思うがままに。そして願わくば、千年先も揺るがぬ意志の、礎と成らんことを」

【1000年先も】 【Kiss】






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もう一本、お届けします。  by麦粉
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 愛してる。情熱的な言葉を紡いで、呆けた顔に唇を埋める。たっぷり二秒数えて、その瞳を見ながら名残惜しそうに離す、その顔が上気していたら成功。こちらも恥ずかしそうに目を伏せられたら尚良い。
 結婚しよう、そう切り出すのは、キスをしても相手が混乱しなくなった辺り。なるだけ真摯に言ってやる。今から大切な事を言います、というムードが何より大事で、雰囲気作りの出費はけちらないこと。

 潤んだ瞳で了承されたら──その関係は終わり。

 あとは、架空のウェディングコンサルタントを紹介して、金をいただいたら用無し、即とんずら。
 そうして、また新しい人を見つけて、情熱的な愛を囁く。

 楽なものだ。ルックスが特別良い訳ではない。それでも、人をたらすのは上手かった、それなりに人の欲しい言葉が分かったから。優しく、甘く、寄り添うように、欲しい言葉を的確に言ってやる、唇を寄せながら。そうしてそれは、見せかけの愛に上塗りされる。
 ああ、もう、何人と唇を交わしたかも覚えちゃいない。どうでも良かった。
 ただの、飯の種以上にはならないのだから。



 「悲しいやつだな」
 


 弾けるように顔を上げた。パイプ椅子が、僅かに軋む。
 こいつ、このワン公が。鼻で、嗤いやがった。
 うるせぇ、うるせぇよ! 後ろの制服に押さえつけられる。

 俺だって、俺だってなあ!

 ……本物のキスってのがあるなら、知りてぇよ。
【Kiss】

2/4/2023, 3:58:28 PM