彼はクリスマスの妖精だと言った。
数日前のこと。物を整理していたら、古びたオルゴールが出てきて。すぐには思い出せなかったけれど、それは幼い頃に祖母からもらったクリスマスプレゼントだった。
懐かしさに見舞われて、そっと蓋を開ける。優しくてキラキラとした音色に癒されていたら、突然目の前から声がした。気がつけば、彼がそこにいた。
彼に名前はないと言うので、私は勝手にキャロルと呼ぶことにした。キャロルは肌も髪も服も真っ白で、瞳だけが柊の実みたいに真っ赤だった。
試しに、うさ耳がついたふわふわの寝間着を着せてみたら、すごくそれっぽくて。
笑うなんて意地悪だ、と頬を膨らませるので、私はよりいっそう笑ってしまった。かわいいからだよ、と本音を言えば、恥ずかしそうにそっぽを向いた。
キャロルと過ごした時間はたった数日なのに、なぜか昔からずっと一緒にいたかのような、そんな安心感がそばで揺れていた。
今夜はクリスマス・イヴ。うきうきとディナーの準備をする私に、キャロルが近づいてくる。
その姿は、どこか遠慮がちで。どうしたの、と声をかければ、あのね、と寂しそうに笑う。
言おうかずっと迷っていたけれど、ちゃんと伝えなきゃいけないと思ったから、言うね。そう言う友に、私は手を止めてちゃんと向き合う。
今夜、ボクは自分の家に帰らなきゃいけない。
キャロルはいつもの無邪気な笑顔じゃなくて、今にも泣きそうな似合わない顔をした。
私は、その家が決して近い場所ではないことを、何となく悟った。また会おうね、が言えないことを、何となく感じた。
わかった。それだけ言って、私は手早く準備を済ます。それだけ? と口にこそしないものの、キャロルはどこか拍子抜けしたような様子を見せる。
ちょうど、オーブンの焼けるメロディーが鳴った。
蓋を開ければ、きつね色にこんがり焼けたアップルパイが、嬉しそうに顔を出す。甘く、香ばしい匂いが部屋いっぱいに広がって、キャロルもうっとりと目を細めた。
じゃあ今日は、めいっぱい楽しまなくちゃね。
そう言って私が笑うと、キャロルも元気に頷いてくれた。
おいしい食事を終えて、いつものように寝室で駄弁る穏やかな時間。今夜はツリーの電飾を灯して、偽物のキャンドルを置いて、暗い部屋に温かな灯りを浮かべながら、幻想的な空間を演出している。
窓の外は、しんしんと雪が降り続ける。そういえば、キャロルの白は雪にも似ている。
あのね、キャロル。そう声をかければ、少し鼻を赤くした彼は、あざとく振り向く。
相変わらずかわいらしい友に、かわいらしくラッピングしたプレゼントボックスを手渡した。
本当は、これからも仲良くしてね、のつもりで選んだものだったけれど。意図せず、最後の贈りものになってしまったことに、少し寂しさを覚える。
その寂しさに任せて、私はぽつり、ぽつりと本音を打ち明けた。
ひとりぼっちだった。家族はみんな先に死んでしまって、葉の落ちた裸の木みたいに、虚しい部屋でひとりぼっち。それが日常だったけど、今思えばずっと寒くて、寒くて、陽の光の届かない日々だった。
ものを片付け始めたのは、無意識に近かった。自分もすべてを終わらせて、みんなのところへ行きたかったのかもしれない。今となっては、もう思い出せない。
そんな時だった。
君が現れた、キャロル。
君の真っ白な笑顔は、天使が舞い降りたみたいに私の心を明るく照らした。
君の無邪気な喜びは、マッチをたくさん灯したみたいに私の心を温かく解かした。
眠れないほど冷たかった思い出の家が、いつの間にか帰りたくなる場所になっていた。
それぐらい、君は私にとってとても大切な人なんだ。
だから、本当は離れたくなくて。
ずっと一緒に、笑っていたくて。
でも、サンタさんは眠らない子にプレゼントをくれない。こうして、ずっと起きて、君を引き止めてしまえば、きっと怒られてしまうから。
だから、ちゃんと伝えなきゃいけないと思った。
ありがとう、キャロル。大好きだよ。
私の魂の言葉に、キャロルの返事はない。ただ、自分のひざに顔を埋めて、静かにしている。
仕方がないので、受け取ってもらえないプレゼントボックスを、足元にそっと置いた。
私、先に寝るね。キャロルも、身体冷やさないようにね。
そう伝えた声は、震えてはいなかっただろうか。
布団に潜る。キャロルに背を向ける。
しばらくして、静寂の中から声がした。アップルパイ、おいしかったね。とても久しぶりに食べたんだ、大好きなお菓子なんだ。嬉しかったよ、ありがとう。
歌うように紡がれる、思い出。
うん、と返したつもりだ。私もアップルパイ、好きだよ。嗚咽にはなっていなかっただろうか。
目を閉じた。背中はまだ温かい。
それが徐々に、徐々に、冷えていって。
最後には、遠くで鈴の音色が響いた。
いっそう、目を強く閉じた。眠れない、今夜はきっと夢を見れない。
君がいないせいだ。隣で笑ってくれないせいだ。
どうしてだろう。数日前まで、こんな冷たさには慣れきっていたはずなのに。
寒くて、寒くて、たまらない。
眠れないほど、白い光を想った。
雪はまだ、降り続けて。屋根に重くのしかかる。
重く、重く、のしかかる。
クリスマスの朝。
凍てつく空気の中、私はベッドの傍らに、何もない光景を見た。
12/5/2024, 2:54:28 PM