へるめす

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田舎の駅に人のいない。見渡せば、ただ圃場に風がそよぎ、葉擦れの音がそちこちに囁いてやまない。
わたしがここに帰ってくるのは一年ぶりだ。向こうの方で踏切の警笛が鳴り響く。わたしは、半ば朽ちた停車場のベンチから腰を挙げ、軋むレールの音を眺め遣った。

申し訳程度の一両編成。無論、ワンマン運転の車両には通例の如く、乗客も居ないだろう――いや、たった一人だけ、古ぼけた天鵞絨の椅子には、確かに昨日が座っていた。
昨日はゆっくりと立ち上がると、乗り込む間際のわたしに気付いたようだった。けれども、一言もなく立ち去った。わたしは、咄嗟の出来事に茫然と昨日の背中を見送った。

誰もいない車両の中、わたしは、窓の外を次々と置き去りにされていく緑色の風景を何を思うでもなく見過ごしていた。やや眠たげな窓に映るわたしの顔には、どこか昨日のものと似た愁いが透けて見えた。

いつの間にか少し寝ていたようだ。
次の駅――当然無人駅だ――に着くと、古ぼけた停車場に、誰かが立っているのが見えた。
電車が到着すると、一人の女性が慌てた様子で車内に乗り込んで来た。誰かを探している様子で四囲を見回している――それは、明日だった。
明日は不安げな表情を浮かべたまま「昨日は?」とだけ聞いた。わたしは「もうここにはいません」と、先程の駅で降りていったことを伝えた。
明日はそれを聞くと、走って駅を出て行ったようだった。

わたしは、大きなあくびをひとつすると、眼を閉じた。耳の中には、行き先の案内が流れる。
次は――、――。わたしはその駅名に驚き、飛び起きた。
――しまった!寝過ごした!
わたしの旅程は決まってこうだ。やれやれ。肩を落とすと、窓を開け、目の前を流れる風光が力強く車内に吹き渡るのに感じ入ってみた。
たまには、こういうのもいいだろう。だって、わたしは――

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昨日へのさよなら、明日との出会い

5/23/2023, 8:57:21 AM