名無しの夜

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 建物の窓の外は、大雨。

「神様の、怒りなんだって」
「大人がケンカばっかりしている、から」

 ゼェハァと荒い息を吐きながら、赤いリュックを背負った少年が言う。

 青いポンチョをまとった幼い男の子を手を引きながら、黄色いシャツの少年はうんうん、と赤いリュックの少年に頷き返す。


 動かない、金属の階段を三人の少年は延々と登る。

「大昔にも、あったんだって。こういう、洪水が」

 一つ上のフロアに辿り着いて、誰ともなくペタリと座り込む。

 近くの窓から、外が見える。

 黒い空の下も、真っ黒だ。

 雲より凶暴に荒れ狂う黒い水の渦が、建物を取り囲んでいるのが見える。

 ずっと。
 ほぼ休みなく上へ上へと登ってきているのに、眼下の水は一向に遠くならないことに恐ろしさを覚え。

 やはり誰ともなく、また階段を登り始める。


「昔も、僕達みたいに——こうやって登ったのかな」
「昔は、船があったから大丈夫だったらしいよ。水に浮く、乗り物があったんだって」

「そうなんだ。じゃあてっぺんに、船があるんだね、きっと」
「かもね。あのお婆さんが『もしかしたら』って言ってたから——わかんないけど」

「きっとあるよ、頑張ろ」


 励まし合い、少年達は文句も言わずに登り続ける。

 そして、ようやく。

 最上階と思しき、窓一つないひんやりとした薄暗いフロアに辿り着いた。


「何だろう、ここ……」

 少年達の背と同じくらいの高さの、タマゴ型のポッドが幾つも並んでいる。

 ポッドと繋がっている機械のボタンを叩いてみても、何の反応もない。

「壊れてるのかな」

 順番にポッドの上部にある、覗き穴めいた窓を覗き込みながら、機械のボタンを押していく。


「あ、見て! 女の子が入っているよ!」

 ポッドの中で、女の子が眠っている——ように見えた。

 女の子が入っているポッドの機械は、中央のボタンが緑色に光っていて、その隣の数字のメーターがゆっくりと回っている。

 緑に光るボタンを押してもビーッと耳障りな音が一時的に鳴るだけだった。


「何だろうね?」

 黄色いシャツの少年が首を傾げると、赤いリュックを背負った少年は指を鳴らした。

「わかった! これ、ベッドだよ。
 この中に入っていれば、ここが水の中に沈んでも大丈夫なんだ、きっと!」

「そっか! じゃあこれに入れば、僕達助かるんだね!」

「うん、絶対そうだよ! 動く機械を、探そう!」

 二人の少年はそれぞれ走りだし。
 青いポンチョの男の子はポツンと、女の子が眠るポッドの前に座り込んだ。


 やがて。

「……これ、一つだけかぁ」

 僅かに軋みながら開いたポッドを見つめ。
 二人の少年は、顔を見合わせた。

「僕達には、小さいね」

「うん。でも——あの子なら」


 青いポンチョの男の子を呼び。

 二人の少年は、怖がる男の子をなだめながら中に入れた。

「寝るだけだよ、大丈夫」
「僕達も、近くにいるから」
「これ——抱っこしていれば怖くないよ」

 赤いリュックを抱きかかえさせ。

 ボタンを押して、ポッドを閉める。

 どういう仕掛けなのか。
 ポッドが閉まると、中の男の子は即座に眠り込んでしまった。


 それを見届け。

 二人の少年は手をつないで、男の子が入ったポッドに寄りかかって目を閉じた。



 どこからともなく、光が差し込んでいる。

 ギィと音を立ててポッドが開き、青いポンチョの男の子はゆっくりと目を開けた。

「あ、起きたんだ」

 髪の長い少女が笑う。

 見たことがある子だ、と男の子は思う。

 ……でも、どこで見たんだっけ……?


「ね? ちょっとその荷物、見せてよ」

 女の子は、青いポンチョの男の子の疑問など気付いた風もなく、男の子が抱きかかえていた赤いリュックをひょいと取り上げた。

 ガサゴソ、と中を探り。

 赤い果物の絵柄がある袋を見つけて、ニンマリと笑った。

「アンタを助けた人は、気が利いてるわね!
 あたし、お腹空いてるの。ちょっとだけちょうだい」

 ピリ、と袋を歯で破り。

 女の子は甘い香りがする乾物を、口に放り込んだ。

「ん〜、美味し!
 ね、アンタ名前は? あたしは、イブっていうのよ——」

5/26/2024, 6:22:18 AM