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令和7年4月4日

お題 「桜」

「まだ見ぬ、波濤」  作 碧海 曽良

1989年 平成元年五月

之子は東京にいた。
百貨店社員からアパレル会社に転職配属は東京渋谷の百貨店。なにが、どうしてあの東京嫌いがここに居るかと言えば、イルカであった。


回想

平成元年の春彼岸祖母の入院の知らせを聞いて帰省80超えの老体に心配を募らせ帰省してみれば、「ただの風邪だ、なにしに帰った!まだ殺すな!」怒鳴り散らされ笑いとばされ、散々な目にあった之子であったが、元号が平成になってからこちら、明治、大正、昭和、平成と生き抜く祖母への心配が後から後から重なり、静かな瀬戸内の海に未だ見えぬ波濤のように押し寄せる悲しみの夢を之子は最近よく見るのである。そんな想いもあっての帰省の中、之子は高校時代の友人たちと久々に集まっていた。

之子、貴子、桐子、駒子の四人は中高一貫の彼女達が高一に上がる年共学校になった高校で持ち上がり組、同級生四人組。之子と駒子は一人っ子で特に駒子は街の事業組合長と町長を務める家の一人娘だったから島に残るかと思いきや東京の大学へ、そして就職も東京に決めたという早業、就職戦線異状なしの俺たちバブル入行組なのである。駒子は某都銀に入行が決まっていたのだ。島から外に出たのは之子と駒子の二人。
リーダー的存在であった貴子は地元の国立大学を出てUターンで母校の教師になる予定。之子と同じに地元の短大を出た桐子は地元での保母を経てこの五月には結婚するとのことだ。それぞれが、近況を伝え合い、質実剛健に生きている友人たちを横目に、春の遠浅にプクリと息を吐くあさりのように、何処となく漂っています風情の之子なのであった。

「ノコは、大阪の暮らしは慣れた?」之子はノコではなく「ゆきこ」と読むのだが、何処か飄々と掴みどころがなく、呑気な子でノコであった。リーダー格のマウンターおたかが言うところ立場逆転のバブル入行の、おコマが聞いた。昔から、おタカとおコマは学力が似ていておまけに、気位ちょい高目な気質も似ていた
。小さい方のおコマは、大きい方のおタカにライバル心を燃やし、ついに都銀入行という事実で組み伏せたような感であろうか、この再会の席を仕切っている。

どこ吹く風のノコはノコで「楽しぃやってるでぇ」と全く抜けない言葉で東京もんの言葉の、おコマに答えた。

「相変わらずやねぇ」よそ行きの東京もんの言葉から引っ張られて、おコマが答えると皆が笑った。

之子は、ふとあのなごり雪の朝を思い出していた…。海内 洋とは、高校卒業後、幾度か行き来し合い、手紙や電話のやり取りもあったが、一年もしないうち、之子が短大二年になる頃、
自然に連絡が途絶えがちになった。元々他所から越して来た洋には、この島への想いも之子たちほど深いものでもない様子で、之子には、それがとてもドラライに感じられ互いの若さもあり次第に離れていったのである。

どうしてるやろなぁ…。
之子は、そんな想いを胸に四人でガヤガヤやるテーブルから視線をあげて、窓の外を見つめた。春彼岸、その日は麗らかな春を感じさせる日で、四人が集まった、喫茶店の窓から見える桜坂の桜が蕾を緩ませているようだった。

なごり雪は 降る時を知り
ふざけ過ぎた 季節のあとで
今春が来て 君は綺麗になった
去年より ずっと綺麗になった…はず笑笑

洋くんも、今年就職だよな、、
之子は、なごり雪が、まだ溶けずに心の奥に
残っていることに気づいた。

それは、平成元年春彼岸のことであった。


つづく


「桜」

君の頬 とまる桜に 口づけす

              碧海 曽良  

さくら 独唱   

           作詞  森山 直太朗

僕らはきっと待っている 
君とまた会える日々を
さくら並木の道の上で
手を振り 叫ぶよ
どんな苦しい時も 君は笑っているから
挫けそうになりかけても 頑張れる気がしたよ

霞ゆく景色の中に あの日の唄が聞こえる

さくら さくら 今咲き誇る
刹那に散りゆく運命(さだめ)と知って
さらば友よ 旅立ちの刻 
変わらない その想いを 今

今なら言えるだろうか 偽りない言葉
輝ける君の未来を願う 本当の言葉

移りゆく街はまるで 僕らを急かすように

さくら さくら ただ舞い落ちる
いつかは生まれ変わる瞬間(とき)を信じ
泣くな友よ 今惜別の時 
飾らない あの笑顔で 今

さくら さくら いざ舞い上がれ
永遠にさざめく光を浴びて
さらば友よ またこの場所で会おう
さくら舞い散る道の上で


桜と言えば私はこの曲、そしてこの曲はタイトル通りに独唱したくなる曲であり、桜といえば散りゆく運命の「散る桜 残る桜も 散る桜」なのである。そして、私はこの花に特攻隊の青年たちを、どうしても重ねてしまうのである。

だから、桜を浮かれた気持ちで見あげることが私は出来ない。

「桜は別れの花である」

フランス映画だと、桜の花言葉は「私を忘れないで」だから、戦争に行く男性に対して恋人が「私を忘れないで」の意味を込めて桜を贈ったそうだ。

散る桜を見あげる度に、この世を有り難う御座いました。どうか、生まれ変わってらして、この世を、この桜を謳歌してらしてください。と思ってしまうのである。

桜を見あげ、ただ綺麗だと浮かれ気分で酒を飲み綺麗だ綺麗だと囃し立てる気分には、なれない。あの花は静かに愛でる花である。

刹那な時の間を感じずにはいられないからである。

その時の間に、あの日の彼らがいるようで、散りゆく運命の桜に涙してしまうのである。


 「桜について」     碧海 曽良     


花を見ても結局、わたしわたしなんだね君たち気づいてますか?笑笑 

僕が楽しい、私がみすぼらしい、俺が気持ちが悪い悪くないetSETOra〜etSETOra。最後は私が花ですの極みに笑えた。

今の子には解らないと思う、確かに小6だわ(笑)で、あなたはどれ? 結局、どいつかを叩きたいだけで、ご自分の愛で方が一番正しいと言ってらっしゃいますよねぇセンセー。そんなの皆一緒です。まず花見の起源は奈良時代の貴族が愛でた梅。桜は桜で美しいけど、腹斬って潔く散ってくれの武士の花、それが順序、日本人なら知っておきたいね。

タイトルからして気持ち悪いものを観て気持ち悪いと書き込み、観たまんまやんwww で、どうしろと、私様が俺様が気持ち悪いから放送すんなと?何様か?え?え?戦時中の検閲か?自由な多様な価値観は何処行った。あんたの好き嫌いで変わったら怖いわwww 世直しマンか?そっちの方が病んでると思うでwww 

4/4/2025, 12:46:38 PM