涙
兄が泣いている。小さい兄が、かわいい時計を投げつけて泣いている。「もう、おとうさん、おかあさん、けんかしないで」6歳の兄が泣いている。あれだけ我慢強い兄が、泣いている。どれだけ酷いことか、なんとなくわかる。それなのに、両親は喧嘩をやめない。兄の名前を呼んで、寄り添って頭を撫でながら、暴力と大声は止まらない。私は、兄をみて、かわいそうと思ったが、喧嘩をやめてほしいとも思わなかった。涙さえも、でなかった。私はそんな自分が、薄情もので嫌いだった。それでも、いつも、涙は、でなかった。涙が、でなかった。
卒業式も、ペットや身内が死んだときも、嘘みたいに形式的な涙が流れていた。
それなのに、人目憚らず泣いたのは、飛行機の中だった。地元を離れる飛行機に乗って、付属のイヤホンで機内のラジオを聴いた。もう二度と帰らないと思い乗った飛行機だった。ラジオは、音楽番組だった。地元にゆかりのある歌手が、心を消費しながら唄っていた。私は1人になって、はじめて、泣いた。そのとき、はじめて、私は私を知った。
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余談、
私の、一つのコンプレックスというか
自分の大嫌いな部分の話なんですが、
笑うところじゃない場所で笑ってしまうことがあるんです。今はだいぶ減って来たんですが、学生時代は顕著にありました。
両親が大喧嘩で暴力沙汰になった時も、
警察を呼んだ時も、
浮気現場に立ち会った時とかも、
心の奥底はザワザワしてなんとなく「泣きそう」という感覚はあるのに、
身体の緊張からか、笑ってしまうですよね。
他の場面で緊張する時も、同様に笑ってしまいます。
泣きもできないし、笑いたくもない、何にもおかしくないのに、笑ってしまう。
そういう自分が、嫌でした。
なぜなら、気味悪く思われるからです。
そうすることでまた無意味に傷ついたと思うことも嫌いでした。
あの時の兄の涙が、忘れられないのは、
そのような自分のことも含めて、
たった2歳しか違わない兄に、
「そのときそうすべき判断」を背負わせてしまっていた、罪悪感もある気がします。
最近、泣きたいときに泣けるようになりました。
大人だから、こんなに泣くのも良しとはされないかもしれないけれど、私は泣かぬよりいいと思うんです。
泣かないで変にケラケラ笑っているより、
傷ついて、悲しくて辛くて、涙を流してる方がよっぽど健全で、自分の感情を感じきれていて素晴らしいことのように思います。よっぽど、そっちの方が難易度が高くて、一歩先をいってる行為な気がします。泣く事は否定的な意見も多いけれど、涙を流すことって、自分が自分の感情を認めているようで、私は好きです。
ちなみに飛行機のなかで、中島みゆきさんの歌を聴きました。泣きました。ずっと彼女のファンです。
3/29/2025, 5:46:31 PM