なこさか

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  不穏


 それはとある日の昼下がりのこと。司書の仕事がひと段落した私は、書庫のカウンター奥にある司書室にてお茶の時間にしようと、ポットのお湯と茶葉を用意していた時のこと。
 僅かに司書室の扉が軋む音がして振り返ると、そこにヴァシリー幹部の姿が。彼は相変わらずの無表情だったが、纏っている空気が少しぴりついていた。
 機嫌はあまり良くなさそうだ。

 「おや、あなたがここに来たということは何かありましたか?」

 「………」

 私の問いに彼は何も答えない。
 こういう時の彼は何を聞いても答えてはくれることはないから、彼が話してくれるのを待つしか無い。
 私は笑顔で近くの椅子を手で示す。大人しく彼はそこに座った。

 「少し待っていてください。今、ジャスミンティーを用意していますから。茶菓子にはクッキーを用意したんです」

 ポットにお湯を入れ、ポットを温めた後に茶葉も入れる。少し蒸らした後にカップに茶を注ぐと、ふわりと花の甘い香りがした。
 茶菓子のクッキーを皿に盛り付け、テーブルの中央に置く。その次にヴァシリー幹部の前にジャスミンティーの入ったカップを置く。私も自分の分を用意して席に着くと、ちょうど彼が一口目を飲むところだった。

 「……美味い」

 「それは良かったです。クッキーもどうぞ食べてみてください」

 彼は茶菓子に手を伸ばし、それを口に運ぶ。そして、茶を飲む。私も特に何も話すことはせずにこの静かな空気を味わっていると。

 「アスタ」

 そう名前を呼ばれた。視線を向けると、彼はいつもは空虚であるその目に怒りを浮かべているようだった。

 「どうしました?ヴァシリー幹部」

 「……先日、エミールがミルに話しかけたらしい。それでミルは奴から茶会の招待状を受け取ったそうだ」

 「それは……いち騎士としては大変名誉なことですね。一般騎士や暗殺者は基本、執行官と話す機会すらありませんから。ですが、あなたとしてはその出来事は面白くないでしょうね」

 「ああ。ミルにしては珍しく少し怖がっていたな」

 「ミルが?」

 私は目を丸くした。私の中でミルのイメージは、誰に対しても分け隔てなく臆することもなく笑顔で接する子だ。そして師匠であり、上司でもあり、育ての親でもあるヴァシリー幹部のことを呼び捨てし、自分の意見をしっかり言う子。
 そんな彼女が怖がる相手。余程のことだと思った。

 「それであなたはそんなにも怒っているのですね」

 「当たり前だ。怒らない方がおかしい」

 「怒るということは、あの子のことがそんなにも大事ですか?」

 「………」

 私の問いに彼は固まった。
 どうやら自覚が無かったらしい。「大事……?」と小さく繰り返して、不思議そうな顔をしている。

 「自覚無かったんですか?ヴァシリー幹部」

 苛立った様子の彼の視線を私は真正面から見据えた。

 「私は事実を述べただけですよ。あなたのことですから、初めての感覚に戸惑っていた……と言う感じでは?」

 「……………癪だが、その通りだ」

 「なら、そのままで良いではありませんか。ミルを大事にしたいと思うのなら。ミルを守りたいと思うのなら、その思いのままに行動すれば良いのですよ」

 「…………………………」
 
 彼は少し考えるように口を噤む。しばらくしていつものように笑った。

 「確かにお前の言う通りだ。こんなことで悩むなど、俺らしくもない」

 「ええ、その通りです」

 「あの娘は俺にとって大事な娘だ。俺にいつも面白い考えを見せてくれるあの娘をエミールに壊されるわけにはいかない。ならば俺は師として、親として、あの娘を守ってやらなければな」

 「ええ、あなたならきっと出来ますよ」

 けれども、ヴァシリー幹部のその発言は執行官同士の対立を招くものになる。それでも今の幹部の目は生き生きとしていた。
 人を大事にする。その感情が生まれたのだから、大事にしなければ。彼の相談役としては彼の生まれたその感情を守れるよう助言するのも役目だと思っている。

 (……念の為にこれはお姉様のお耳に入れておきましょうか。私としてもヴァシリー幹部のその感情を、ミルを守りたいですから)



 茶会の後、伝書ハトを飛ばした。約束の真夜中に私はお姉様の部屋を訪れる。こんこんと扉をノックをする。

 「入りなさい」

 凛とした声が聞こえた。

 「失礼します、お姉様。夜分遅くに申し訳ありません」

 「いえ、問題ありませんよ。あなたから連絡をくれるのは珍しいですね。何かありましたか?」

 私の腹違いのお姉様……そして、四人いる執行官の一人、サリエル。私が伝書ハトを飛ばした相手である。
 ヴァシリー幹部とエミール幹部と同じ立場にあるこの人に私は昼間にあった茶会のことを話した。

 「……そうですか。エミールがヴァシリーの弟子にそのような手紙を」

 「はい。内容としては何の変哲も無いですが……ヴァシリー幹部は少し怒っていました」

 「……エミールは私たち執行官の中でも何を考えているか分からない人物です。同じ立場であっても、警戒する相手ではありますね。ヴァシリーにとって育て親である彼ですが、ヴァシリーは酷く憎んでいるようですし」

 「はい。なので、このままでは執行官同士の対立が起こり得るのでは無いかと」

 「確かにそうですね。ですが、それはエミールがヴァシリーやミルに危害を加えれば、確実に起こるでしょう。しかし、同胞に刃を向けると言うことは騎士団の規律違反になる。あの二人に手を出せば、エミールは騎士団全てを敵に回すことになります」

 「ですが……エミール幹部は規律違反を必要があれば破りそうな相手です。エミール幹部には一度しかお会いしたことありませんが、私の目には好奇心を満たすためなら何でもするように見えました」

 「その考えはあながち間違いではありませんよ、アスタ。でも、そうですね……私たちとて、同胞を攻撃するようなことはしたくありません。しばらくはラファエルに動向を探るよう伝えておきましょう。それで何事も起こらなければ良いのですが」

9/20/2024, 10:54:19 PM