『高く高く』
書の先生には息子がいて、私が教室に入った時から教室の中では誰よりも書が上手かった。先生の書が大好きで教室に入った私からすると同じ屋根の下で誰よりも長く先生の指導を受けられるそのひとのことは妬ましく羨ましい存在だった。
「君はいいね。先生に褒められて」
彼が少し寂しげに言ったことを聞いてから教室をよくよく見てみると、書の上手下手に関わらず生徒を褒めがちな先生は彼のことを一切褒めてはいなかった。彼のことを見ていると先生の背中ばかりを見つめているようだった。
「お父さん、って呼んだことないの?」
「もう10年以上は呼んでない」
「書を書くのは、好き?」
「……嫌いになりかけてる」
洗い場で俯きながら筆を洗う彼をこのままにさせてはおけない。
「私、これからはもっと高みを目指す。あなたより書が上手くなってみせる!」
洗いたての筆を突きつけて宣言すると、彼は何言ってんだこいつという目で私を見た。
「だからあなたはいつも私より上手い存在でいて。ずっと私の上にいて」
「何それすごい勝手」
呆れながらも少しだけ笑った彼は、それ以降先生に言われるだけだった姿勢をあらためて書に取り組み始めた。どこへたどり着いても先を行く存在の彼には引き離されてばかりな気がしてこちらの気がめげそうになったりしながらも、私は追いつくことをやめようとはしなかった。
私が見上げているところにいる彼は今日もどこかでもっと高くに向かって走っている。立ち止まっていては彼に追いつけない。
「やるか」
真白い紙の上に墨を含んだ筆が躍りゆく。心の揺れもそのままに、私の軌跡はさらなる高みを目指し続けていた。
10/15/2024, 7:14:16 AM