『平穏な日常』
平穏な日常とは、大概の場合、刺激のないものである。それは昼下がりのまどろみと似て、欠伸が出そうなくらいに退屈なものと言える。
しかし、平穏とは当たり前にそこにあるものではない。不幸な星のもとに生まれた人間にとって、平穏とは、どんなに願っても得られない、希少な宝物のような存在に感じられるはずだ。
私はかつて、他人の平穏を憎んだことがある。あまり平坦とは言えない人生を歩んできた私にとって、当たり前に平穏を享受している彼ら、彼女らは、免れているにもかかわらずその自覚がない愚かで憎むべき人間たちだった。ただ恵まれた環境に生まれただけなのに、それを自分の力で勝ち取ったと勘違いしている、自覚のない幸せ者たち。
彼らが愚痴をこぼすたびに、私は思った。あんたらの不幸なんて、世界中にある数多の不幸とは比べものにならないくらい軽いものなんだよ、と。
あなたは、いつ後ろから強烈な蹴りを入れられるかわからないような環境に怯えている人の震えがわかりますか?
あなたは、毎日のように暴力的な脅しを受けている人の恐怖を自分のこととして理解できますか?
あなたは、ただ何もできずに脅され続け、殺される日を待つしかないような人の葛藤を想像することができますか。
人間の想像力なんて、実は貧しいものだ。わかる、などとその気になってみせても、実際は何もわかってなどいない。ただ単純に、偽善者が貧しい想像力を適当に働かせて、わかったふりをしているだけにすぎないのである。
だいぶ話が脱線したが、そんなひねくれたことを考えていた私もオバさんと言われるような年齢になり、角を出しながらも少しずつ丸に近づいてきつつある。まだ怒りの破片は刺さったままだが、それでも心の中に平穏を取り戻し始めている。
退屈を感じるほどの平穏とは無縁な人生になりそうだけれど、逆に刺激があって楽しいかもしれない。そう考えられる程度には、私も大人になれたということだろうか。
3/11/2026, 10:45:59 AM