この道に終わりはないと、誰かが言っていた。
確かに見える限りに果てはない。一本道はどこまでも真っ直ぐに、朱色の鳥居の先まで伸びている。
その先は禁足地だ。道を一歩でも逸れれば、祟られるのだと言われている。
ごくりと唾を飲み込んだ。引き返すのならば今のうちと、何度も心が警鐘を鳴らしている。
それでも、始まりには必ず終わりがあるように、きっとこの道にも果てがあるだろうから。
それを確かめるため、勇気を出して足を踏み出した。
鳥居を潜ると、空気が変わった。
風が止み、生き物の声が遠ざかる。代わりに常に誰かが見ているような気配がして、何度も足を止めては、周囲を見渡した。
確かにここは正しく禁足地なのだろう。人が気軽に足を踏み入れてはいけない場所。唯一許された道を、自分は今歩いているのだ。
何度も戻ろうと考えた。しかし振り返り歩いてきた道の先が昏く沈んでいるようで、このまま進むしかないのだと思い知らされる。道を逸れないよう、何度も確認しながら前だけを見て歩き続けた。
どれだけ歩き続けただろうか。随分と長く歩いている気がするが、見上げた空に浮かぶ太陽は陰る様子はない。
相変わらず生き物の気配はないのに、何かの視線を感じる。視線に怯えて、立ち止まることはなくなった。ただ何かに急かされるように、足だけが勝手前へと進み続けている。
ふと、目の前に一つの鳥居が現れた。
最初に潜ってきた鳥居とは違い、小さく灰色にくすんでいる。
立ち止まり、鳥居を見つめる。どこか懐かしさに似たものを感じて、胸が苦しくなった。
きっとこの先が、道の果てなんだろう。
訳もなくそう感じながら、鳥居を潜り抜けた。
鳥居を潜ると、その先に小さな祠があった。
苔に覆われた小さな祠の前には、干からびた花が一輪置かれている。
ここが道の果てだった。
祠の前に歩み寄り、静かに膝をつく。胸の前で手を合わせ、目を閉じた。
何故だろうか。そうすることが当然だと、そう思った。
「また、来たのか」
声がした。
目を開け振り返ると、着物を着た男の人が凪いだ眼でこちらを見つめていた。
「また……?」
彼の言葉に首を傾げる。
ここへは初めて来たはずだ。今まで何度も道の果てを気にしながらも、足を踏み出せてはいなかったのだから。
彼は何も言わない。自分もそれ以上何かを問うことはなく、静かな時間が流れていく。
ふと、背中のリュックの存在を思い出した。リュックを下ろして開ける。
中に入っていたのは、タオルやブラシ。そしてバケツなどの掃除用具ばかりだ。
何故こんなものを入れていたのか。疑問に思いながら、リュックから道具を取り出していく。
考えても答えは出ないのだろう。自分が道の果てを気にするのと同じように。
バケツを手に立ち上がると、彼はこちらを一瞥し歩き出す。その後について歩けば、向かう先から水の流れる音がした。
小さな清流。深呼吸をすれば、澄んだ空気に気持ちが凪いでいく。
バケツに水を汲み、再び彼の後について歩く。祠の前まで戻ると、何も言わず祠を覆う苔を落としていく。
何故こんなことをしているのだろう。いくつも疑問が込み上げるが、手は止まることなく黙々と祠を綺麗にしていく。自分の意思とは関係なく動く体に、しかし恐怖はない。
あるのは、微睡みの中にいるような、穏やかで暖かな思いだけだ。
「この祠が祀っているのは、あなたなの?」
祠から目を離さず、手も止めずに問いかければ、答えの代わりに祠の扉が開いた。
中には小さな丸い石が数個。それ以外には何もない。
誰かを祀っているのではない。
ここは祈りの場所なのだと、そう感じた。
扉を閉め、再び祠を綺麗にしていく。屋根や壁を拭いて、周囲の落ち葉を集めていく。彼から渡されたちり取りと箒は、何故か何年も使っていたように、手に馴染んでいた。
最後にと、道具を纏め立ち上がる。振り返れば、彼の手には一輪の花。
「いつもありがとう」
自然と口をついて出た言葉を、もう疑問に思うこともなかった。
手を合わせ、目を閉じる。
たくさんの感謝と願いを込めて、祈り続ける。
しばらくして目を開けると、静かにこちらを見ていた彼と目を合わせた。
聞きたいことはたくさんある。
祠のこと。彼のこと。自分自身のこと。
けれど言葉になったのは、たったひとつだけだった。
「道の果てはあるの?」
その問いに彼は僅かに表情を綻ばせ、答えた。
「人間が祈りを忘れない限り、道はどこまでも続いていく。ここもまた、道の途中だ。人間が祈りを捧げる度に、道は続いていくのだろう」
彼の示す方向には、まだ道が続いている。
途端に込み上げるのは、果てを求める好奇心だ。小さく笑みを浮かべながら、その道へ足を踏み入れる。
「相変わらず可笑しな奴だ。姿を変え、立場を変えたとしても、その在り方は変わらないとは。巡礼者とは皆こうなのか。それともお前が特別なのか」
呆れを滲ませ彼は言う。振り返れば、呆れながらも優しい目をした彼が、微笑みを湛えて告げた。
「良い旅を。此度の生こそ、虐げられず本懐を遂げることができればよいな」
強く頷き、道の先を見据えた。
ゆっくりと歩き出す。
道の果てを目指して。
この祈りの行き着く先を求めて。
誰かが言った。この道に果てはないのだと。
鳥居の先。禁足地に続く道は、どこまでも果てしなく続いているのだと。
そんなことはありえない。そう周囲は口を揃え、その言葉を笑う。
道の先は、隣町に続いている。そもそも鳥居などなく、禁足地など聞いたこともないと。
道は続いている。祈り続ける者にしか認識できない、どこまでも真っ直ぐ続く道は、今もどこかで訪れる者を待っている。
20251012 『どこまでも』
10/14/2025, 4:09:59 AM