一尾(いっぽ)

Open App

→短編・幻の思い出し日記

「えー、迷うなぁ」
「さっきから同じことばっかり言ってんね」
 かれこれ10分近く、私たちは大きな棚の前を陣取っていた。棚板で薄く仕切られた中に、はがきサイズの紙が入っている。
「紙ってすっごい種類あるんだね~」
 感心する私に、「全部名前がついてる!」と彼女は商品タグを指し示した。
「どれにしようかな~」
 再び彼女は迷い始める。これは時間がかかりそうだ。
 友人と私は彼女の要望で画材屋を訪れていた。それはカフェでランチをしていたときのこんな会話で始まった。
「遠い日の記憶帳、作ろうかなぁ」
 ランチプレートのキッシュを頬張りながら彼女は言った。
「何? どうしたの? 急な文具女子的発言」
「実家でアルバムの整理してたらさぁ、思い出の大事さに目覚めたんだよね~。でも写真以外の思い出って記憶の中じゃん? 書き出してアルバムみたいにしたいなって」
「思い出し日記って感じ?」
「おー、何かいいね。それ、表紙に書くわ」
 具体的なアイディアを画材屋に求めて来た結果、彼女ははがきサイズの紙をファイルにしようと決めた。 
 そして多種類の紙を前に唸っているのである。
「よし! 決めた!」
 彼女は1枚の紙を棚から抜き出した。
「1枚だけ?」
「紙、種類多すぎ。とりあえず1枚。これに思い出を書いたら、また新しい紙を買いに来るってしたほうが無駄がなくない?」 
 あれ? この流れって……。
「そもそも書き出したい思い出ってあるの?」
「あー、紙を選ぶのよりも面倒臭そう」
 やっぱりな、もう飽きてんじゃん。
「その記憶帳、完成しなさそう」
「私もそう思う」と彼女は笑った。

テーマ; 遠い日の記憶

7/17/2024, 6:52:34 PM