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エリカは、死角から矢を放った。敵の胸元に突き刺さる矢には、毒が仕込んであった。
その毒を精製したのは、エリカであり、何度となく人に試した毒であった。
それは、即効性の毒ではなかった。
なぜなら、遺体の証拠が、彼女のクライアントに必要だからだった。
二三言、聞きたいこともあった。
死人は、ほぼ言葉を話さないと言っていい。
だが、その身体は雄弁にものを言う。
だから、それを隠すために、エリカは丁寧に死を吟味する。
エリカの命は、もとよりクライアントの物であると言っても良かった。
ただ、生まれてからこの方、殺戮という名の元に身を置いているエリカにとって、愛情とは、安心して身を預けられる存在。それ以上でもなく、それ以下でもない。
「その命、尽きるまで、私に仕えると誓うか……?」
その言葉を、聞いたのは一度きりであった。
ただ、ひたすら生きている、エリカに出来ることは、忠誠を誓う事に他ならない。
人は信じられなかった。
当たり前だ、だって、人の死といつも隣り合わせにあったから。
人がいかに、無惨な生き物か、エリカは知っていた。
弓に矢をつがえるとき、もう意識は、一キロ先の彼方まであった。
それほど、彼女の弓の精度は、卓越していた。
弓と共にいつもその身は、あるのだから。
悲しくならない日はなかった。
辛く苦しい日が、ないはずがなかった。
彼女に人の情というものがなかったら、どんなによかっただろう。
痩せこけた少女が、いつも街路を通る時、物乞いにやって来る。
そういう時彼女は、決まって腹に巻いた干し肉をちぎって分けてやった。

9/14/2023, 10:36:18 AM