泡沫

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「あいつが言ってました。『俺はずっと兄貴のことが好きでした』と……。」

「……そうでしたか。」

今考えれば、あの人とは長い付き合いだった。
最初の印象は犬だった。
一匹狼だった私に、噛み付いた犬。
それは弱くて、年上のはずだけれどまだ幼く見えた。

喧嘩をし終えたあと、あの人の方から
「俺の『兄貴』になってください」と言われた。

私はそれに断ろうとした。私ごときに負けるような弱い存在だ。利用する価値のない人だと思っていた。

しかし、断ってもことごとく着いてくる真っ直ぐなあの人に、今度はこちらが負けた。了承したとき、あの人が心底嬉しそうな顔をしたのを覚えている。人はこんなに無邪気に笑えるのだと思った。

そのあとは、私も若かったせいか、色々なことをした。取り立て、盗み……力を奮うことがいつの間にか楽しくなった。
それはきっとこの人とだからなんだろうとどこかでそう確信していた。

肩まで伸びた柔いブラウンの髪。優しそうな、どこか不真面目そうな瞳。
いつも助言してくれるこの人は、私を利用しようとして近づいたのではないと気づいた。
この人となら、どこまでも行ける気がした。どんな極悪人が蔓延っていてもこの人と私なら簡単にねじ伏せられると思った。



ある日、ある場所へ交渉をしに行った時だった。

ドアを開けて入ってきた私たちに、真向かいの男が銃口を向けた。
私たちを殺す罠だったのだ。
銃口の先はあの人。
彼は後ろを向いていてまだ男に気づいていない。
このままではこの人の命が危ない。

彼の腕を力いっぱい突き飛ばす。
突き飛ばされた彼はひどく動揺していた。
その表情を見た瞬間、私の右腕に激痛が走った。

「……さん、しっかり!」

無傷のあの人を見て、ああよかったと安心した。
それとは反対に彼の必死そうな表情をしていた。それを最後に私の意識は途切れ、私の右腕はもう二度と戻ることはなかった。



その事件から、彼は私の「右腕」として働いてくれた。
私の身の回りの事から、仕事のことまで。なんでも言われた通りにこなしてくれるあの人。私の体の一部のように動く彼には右腕という言葉がぴったりだった。
今日、死んだと聞かされるまでは。


私の言った指示通り、きっと死ぬ瞬間まで動いてくれていたのだろう。どこまでも健気に着いてくれていたことは嬉しかった。
しかし私の右腕は完全に死んでしまったのだ。


好きでした、か。
あの人が遺した言葉を頭の中で反芻する。

私のワイシャツのボタンを不器用ながら毎朝止めてくれる大きい手。支えてくれる度に香る香水。

あの人の笑顔、困り顔、泣き顔、怒った顔。

真剣に交渉してきたおかげでやっと交渉成立した日。
我を忘れて飲み明かした日。
時には裏切りがあり、ボロボロになって2人で歩いた日。
たくさんの時間と感情を、あの人と共有してきた。



あなたの言う「好き」は「兄貴として」ですか?それとも……。


また機会があったらお返事を聞かせてくださいね。
そう心の中で呟いたあと、暗い部屋に一筋の光が射し込んだ。今宵は満月だ。

「月が綺麗ですね、」
そう呟いたとき、後ろであの人に似た声でこう聞こえた。

「あなたと見るから綺麗なんですよ」



『巡り会えたら』

10/3/2023, 2:30:06 PM