「多恵子さん、何かあった?」
殿山くんが言う。シンク前で並んで食器を洗いながら。
食洗機はあるけれど、二人分のワンプレートぐらいなら、手洗いでササッと洗ってしまいたい。
「え、なんで? 何ともないよ」
水で洗剤を洗い落としながら言うと、「そう?」と深追いはしてこない。
「……」
「……」
微妙に気まずい。私はきのう掛かってきた父親からの電話を思い出していた。
いなかの父が、上京してくるという。久しぶりに顔が見たいと。
大学に進学して、こちらで就職してから、実家にはお正月とお盆に帰省するぐらいだ。母が他界してからは、あまり足が向かない。
父はホテルと取ると言っていたけれど、やはり私のマンションに誘った方がよいのではないか。田舎暮らしのひとだし、東京を一人で歩くのも老齢で、たいへんなんじゃ。せめて私のうちに泊めてあげたい気もする。
でも……。
「あのさ、多恵子さん、何でもないフリしなくていいんだよ。何かあったら、俺、聞くから」
遠慮がちに、でもしっかりした口調で殿山くんは切り出す。いろいろ考えた末ということがわかる、声音で。
「何ができる訳じゃないけど、聞くだけならできるから」
「うん。ありがとう」
好きだなあと思う。こういうとき。
8つも年下の、部下のこの男の人が、私は好きだ。まっすぐに私を愛してくれる。
私はぴとっと彼にくっついた。彼はお皿拭きをしていた手を止めて、私を見た。うっすら赤くなっている。
可愛い。
私から背伸びして殿山くんにキスをしながら、私は「問題は、彼と同棲をし始めたことなんだよねえ……」と内心思った。
#何でもないフリ
「紅茶の香り9」
12/11/2024, 8:44:39 PM