となり

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 私はただ、友達と遊園地に遊びに来ていただけなのに。

「レディースアンドジェントルメン! 紳士淑女の皆々様。本日はこのミラーハウスによくぞおいでくださいました。私、司会を務めさせていただきます、名もなき道化師にございます。以後、お見知りおきを」

 突如、耳が痛い程の拍手喝采が巻き起こりスポットライトを浴びて華々しく登場したのは仮面をつけたマントの男。すらりと伸びた背は細身ながら二メートル弱くらいだろうか。白黒の半々で分かれた面は二つの三日月型の瞳を携え、口も大きく弛んでいるものの本当に笑っているかはわからない。全面ガラス張りのだだっ広い部屋に集まる人々を一瞥してから大きくお辞儀する。視線だけ動かして周りを盗み見ると、皆は狂信的なまでに男に夢中だ。特に女性なんかは恍惚とした表情を浮かべている。道化師を自称するそれは伸びやかな低い声で言葉を続けた。

「皆様は〝逆さま言葉〟という遊びはご存知ですか? 地域によっては反対言葉とも言われております。本来言いたい言葉と逆の意味を持つ言葉を言って会話する遊びです。大好きを大嫌いと言ったり……、子供でも遊べる簡単なルールですね。本日はこの遊びで皆様の内なる自分を曝け出してしまいましょう!」

 そこまで言い切ると再び埋もれるくらいの拍手が室内に響き渡る。思わず手で耳を塞ぐと仮面の男と目が合ってしまった。ひゅっと息を飲む音が鳴り、心臓を鷲掴みにされた気さえして冷や汗が垂れる。ヒールの高い靴の音がカツン、カツンと近付いてきて視界が仮面でいっぱいになる。

「そうですね。まずはあなたから、お手本をお願いします。鏡に向かって何か言ってみてください」
「……え、…あ゙…」

 ただでさえ動揺しているところに突然言われ、喉奥にこびりついた驚愕は声にならず代わりに蛙が踏まれた時のような汚い音色を発した。道化師は私の背を押して鏡で出来た壁の前へ立たせ、一言喝を入れる。周りの鏡は道化師の姿を映していて、まるで彼が何人も居るようだ。

「そんなものじゃ内なる自分は出てきてくれませんよ! さあ、もう一度」
「わ、私……私は、   家に帰りたくない!」

 鏡に映る道化師達の重圧に耐えきれず恐怖した私はミラーハウス全体に届くくらいの大きな声で叫んだ。理解できない不気味な現状から早く逃げたくて心の底から望んだ言葉の反対を告げた。瞬間、鏡の中の私は笑って

「わかった、帰ってあげる」
「え……」

 短く一言言って手首を掴んできた。呆気にとられていると壁だったはずの鏡が水中のように抵抗なく崩れて『私』の力で引き摺り込まれていく。慌てて踠きながら道化師に問う。

「なんで! ちょっと、これ、どうなってんの! ねえ!」
「家に帰りたくないあなたと家に帰りたいあなたが反対になるんですよ」
「は!? ……離して! 待って、」
「内なるあなたの願いを叶えられるのは嬉しいでしょう?」
「何言って……! この子は私じゃない!」
「あなたですよ。鏡に映ったあなたなんですから」
「違う!!」

 一際強く否定しても道化師は薄気味悪い仮面の奥に笑みを浮かべたまま傍観しているだけで、体はどんどん飲み込まれていく。入れ替わりに鏡の私がミラーハウスに足をつけ、向こうで楽しそうに笑っていた。いつの間にか本当の私が『鏡の私』になっている。
 急いで鏡の壁に向かって、出して、と何度も叫び、叩き割る勢いで拳を打ちつける。あんなに柔らかく私を受け入れた鏡は外に出してはくれず、次第に揺れる視界から遠く見えるのは道化師が紙吹雪とともにショーの幕引きを示して深々とお辞儀する様子。
 向こうの私が近付いてくる。手を振ってさよならを言うあの子に鏡である私は何も出来ない。遠ざかっていく様子を眺めるだけなんて嫌で、道化師を睨んで声を荒げた。

「ねえ! ここから出してよ。お願い!」
「ええ? 家に帰りたくないと仰ったじゃありませんか」
「あれは貴方の遊びに付き合ったからでしょ!」
「鏡に映ったあなたは帰りましたよ」
「私が帰りたいのよ!」
「ここはミラーハウス。逆さま言葉を使ったあなたは鏡のあなたの願いを叶えました。全てがあべこべになるのなら鏡のあなたが本当のあなたなのです」
「後出しルールなんてずるいわ!」
「知っていて来たものと思っていましたが、もしや迷い込まれて?」
「そうよ!」
「……そうでしたか! それは失礼しました。では、あちらの世界に未練が無くなった際はまたこちらにおいでください。その時は一緒に遊んでくださいね」

 暫し問答した後納得したのか、仮面の男はパチンと指を鳴らした。すると、軽い爆発音と共に白い煙が辺り一面に舞い、強い閃光が走って眩しさから瞼を閉じる。次に目にしたのは少し遠くに佇むお化け屋敷だった。

「何してんの、行くよー」
「えっ、うん」
「怖いのかなあ、どきどきするー!」

 見慣れた友達に手を引かれ目の前のお化け屋敷へ向かう。後日確認すると、先日遊びに行った遊園地にミラーハウスは無かった。あの出来事は全部夢だったのかと頭を捻りながら、これまでの日常に戻っていくのだった。


#逆さま

12/9/2024, 3:03:10 AM