「先生は結婚してるんですか?」
七崎が俺の薬指を見つめる。
「あぁ。……正確に言い表すなら、していた、だが」
役目を終えても、外されることのない銀の指輪。七崎がバツの悪そうな顔をする。
「それは……すみません」
「気にしなくていい。随分前の話だ」
苦いビールが喉元を伝う。
「あの、奥さんってどんな人だったんですか?」
「月並みな言葉だが……良い女だった。優しく、しなやかな」
自分で言っててありきたりだと笑えてしまう。そんな言葉じゃ表しきれない。世間に転がってるような美麗字句じゃ伝えきれないほどの魅力が彼女にはあった。俺にとって間違いもなく、最高の人だった。
……それなのに。
「……先生?」
「なぁ、七崎。……もしお前に好きなやつがいたら、そいつにちゃんと思いを伝えてやれよ」
七崎が気圧されたような表情のまま、頷いた。
「馬鹿だよな」
自嘲じみた笑いをグラスに零す。
「大学で教師やって、生徒を教えてるてめぇが……本当に大事なもんっての、何もわかってねぇ」
あいつの気持ちも俺の気持ちも。何も……わかっていなかった。
「七崎」
「はい」
「……お前はこんなんになるなよ」
「……はい」
あぁ、くそ。余計なことを言った気がする。酔いが回ってきちまったか。
「分かったんなら戻れよ。せっかくの飲みなのに、湿気た面した中年と飲んでも面白くねぇだろ」
わかりましたと立ち上がった彼女だが、俺の方に振り返ると満面の笑みになった。
「……私にとっては、すんごく面白い話でしたよ。またお話聞かせて下さいね」
「……ばぁか。行けよ、ほら」
俺は指輪をちらりと見た後、若者らしく、賑やかに騒ぐ輪の中に入る彼女を見送った。
3/22/2023, 11:30:32 AM