るね

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BLです、ご注意ください
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【マグカップ】





 ルームシェアをすることになった後輩は、なんだかやたらと大きなマグカップを愛用していた。コーヒーも麦茶もコーラも、なんならハイボールもそのマグカップで飲んでいる。

「でかいな、それ」
「だって、何度も席を立って注ぎにいくのは面倒じゃないですか」

 わからなくはない。けれど、飲みきる前にコーヒーは冷めるし、氷は溶けるし、コースターなんて洒落た物はないから水滴がすごい。畳んだティッシュを敷いているけど、それがマグカップの底に貼り付いている。水が絞れそう。

「もう少し小さい方が美味しく飲めるんじゃないのか?」
「俺はいいんです、これで」

 けれど真冬になると、飲み物が冷たくなっていくのは辛かったらしい。温かいまま飲みたいからと、後輩はマグカップウォーマーなる物を買ってきた。

「なんだ、それ。ヒーター?」
「まあそうですね。カップを底から温めて飲み物を保温してくれるんです」

 そこまでしてそのマグカップがいいのかと少し呆れた。でも、後輩はすぐにそのマグカップウォーマーとやらを使わなくなってしまった。

「あれ、どうした?」
「なんか、カップの底の形が平らじゃないと駄目らしくて」

 差し出されたマグカップを触ってみれば底は平らではなく少し凹んでいる。なるほど。だから使えなかったんだな。けど、それでカップを変えるんじゃなく、諦めて冷えたコーヒーを飲んでいるとは。

「そのマグカップ、何かこだわりがあるものなのか?」
「…………ばあちゃんが、最後にくれたプレゼントなんですよ。すんごい大きいの欲しいって俺が我儘を言ったんです」

 後輩は、懐かしむような、少し寂しそうな顔をしていた。

「使って割れるのは仕方がないと思うんです。でも、使わずにしまい込むのは何だか嫌で」
「そうか……」

 思い出の品だからこそ、使いたかったというわけか。なら仕方ない。ひとつ知恵を貸してやろうじゃないか。

「あのマグカップウォーマーとかいうやつ、出してみな」
「……先輩、使うんですか? 保温マグ持ってますよね」
「いいから、そこに置いて」

 後輩は訝しげにしながらマグカップウォーマーをテーブルに置いた。俺はそのマグカップウォーマーの上に、コーヒーをドリップするためのガラスのサーバーを置いてやった。中身はブラックコーヒーだ。

「このコーヒーサーバーは加熱できるガラスだし、底も平らだろ。大きさも悪くない。これで温めておいて、飲む分だけ注げばそんなに冷えないと思うぞ」

「すごい……」
 後輩は目をキラキラさせていた。
「先輩すごいっすね。俺、思い付かなかった」
「いや、そこまですごいことはしてないって」

 後輩は『ばあちゃんのマグカップ』を使い続けることができるのがよほど嬉しかったらしい。
「お礼をさせてください。俺にできることがあれば何でもするんで」

 一瞬、ずっと隠してきた欲が脳裏をかすめた。駄目だ、と思う。少なくとも今はまだ。もっと信頼されて、俺がどんな人間か知ってもらって、こいつが今より俺に懐いて、簡単には離れて行かないと思えるまでは……告白なんて。

「何でもとか気楽に言うなよ。もし俺が金借りて来いって言ったらどうするんだ」
「えー? でも先輩はそういうことはしないでしょ」
「さぁ、どうだかな」

 後輩の頭をわしわしと撫でる。こんなスキンシップまで許してくれて、これでもし俺の恋愛対象が同性だと知ったら、こいつはどんな反応をするのだろう。

「何かないですか、俺にできること」
「そうだなあ……それじゃ、今月の風呂掃除全部頼もうかな」
「わかりました! ピカピカにしますよ!」

 それくらい任せろと笑う後輩の笑顔が眩しくて、俺は思わず目を細めた。



6/15/2025, 11:08:55 AM