たやは

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君と一緒

私は中学2年の時に交通事故にあい、脊椎を損傷し足が動かなくなってしまった。もう、5年ほど車椅子での生活を送っている。

事故直後は、ずっとベッドの上で生活していて、何もかも諦め自分から行動を起こすことはなかった。幼馴染の波瑠がお見舞いに来ては何度も声をかけてくれたが、私の心には届かなかった。

「瑠夏。車椅子に乗ろう。私が押してあげるから。ね。」

「もう私の足は動かないの。このままでいい。あなたに車椅子を押してもらうなんていや。波瑠に私の気持ちなんてわからないよ。もう帰って。」

波瑠とは幼稚園の頃から何をするのも一緒で、ある時は競い合い、ある時は協力して人生を生きてきた。そんな波瑠に車椅子を押してもらわなけば外にも出られない私は、あまりにも惨めだ。
もう、部屋から出るつもりも車椅子に乗るつもりもない。私はただ人形のように何もせず生きていくだけ。
悔しい。悔しい。どうして私だけが事故にあい、足が動かなくなってしまったのか。
中学ではテニス部に所属し県の大会にも出て走り回っていた私がどうしてこんなことになってしまったのか。悔しい。

1年近くは、何もせす本当に部屋に閉じこもっていた。それても波瑠は毎日やって来る。

ある年の夏、波瑠がつけたテレビをぼんやり見ていると車椅子に乗った青年がテニスボールを打ち返していた。車椅子を巧みに操り、ボールを追いかけてスマッシュを打つ。私には考えられない世界だった。

テニスやりたい。

私にもできるだろうか。
車椅子を足変わりにテニスコートを走り回ることができるだろうか。

「できるよ。瑠夏ならできる。瑠夏ほど強くなかったけど、私だってテニス部だったし練習付き合う。車椅子の練習もしよう」

波瑠の声が聞こえた。心に波瑠の声がこだましていた。

それからは毎日が練習の日々だ。
テニスをするためにはまずはベッドから出て、車椅子に乗らなければならない。手に力を付けるトレーニングも開始だ。
スポーツ用の車椅子に慣れてコートの中を縦横無尽に走れようになるまで頑張らなければならない。
テニスボールとラケットを久しぶりに触り、壁打ちも始めた。

そうだった。中学校でテニスを始めたばかりの頃も壁打ちばかりしていた。
気持ちはあの時と同じだ。

波瑠は今も私の側で一緒にテニスボールを追いかけている。波瑠が居てくれて良かった。まだ、始めたはがりの車椅子テニス。
そんな簡単なことではないけれど、背中を押してくれた波瑠と世界を取りにいきたい。

1/6/2025, 11:39:36 AM