『未来の記憶』
出逢った瞬間に物語が紡がれたのだ。最初から最後まで。
そんなことを口に出したら奇異な眼で見られるだろうから云わないけれど。
それでもそれが真実だ。
あなたと出逢ったとき、私は未来の啓示を目の当たりにした。想像もしたことのない物語、あたかも未来を記憶していたように。
「師よ」
あなたを師と仰ぐ、この誇らしさ。
あなたからどれだけの訓えをいただいたことか。
罪の在処、神の至聖所、天の御業、世の理。
あなたは穏やかに説いた。時には情熱を籠めて夜どおし語ることもあった。罪を怒り声を荒らげることもまたあった。すべて真摯な言葉だった。
最後の日をわたしは忘れない。
晩餐の席であなたは云った。
「あなたの為すべきことを為しなさい」
あのあと、どのようなことが行われ、どのように帰結するのか。わたしは知らなかった。だからあのとき、その言葉をいただいた弟子を(わたしではない弟子を)羨みさえした。
師の言葉を賜わり師から使命を賜わる。
その使命が何であったのか、あのときわたしは知らなかったから。
だが、すべてを知ったいま、わたしはやはり羨むのだ。
あの弟子が為した恐ろしい罪、その重さを知りながらなおわたしは羨む。あの弟子は、師に従って罪を犯した。あの男は裏切り者として永遠に語り継がれるだろう。
わたしの名は埋没するかもしれない。しかしあの裏切り者は、決して忘れ去られることがない。
神の子を売り渡した大罪人としてであっても、師のこの世での物語に、幕を落とした者として永遠に。
師に出逢ったあのとき。
最後の晩餐のあのとき。
わたしは何も見えていなかった。
あの暗い眼差しの裏切り者は、果たして己れの末路を知っていたのか。知っていたならどこで悟ったのか。
わたしは何も知らなかった。
師よ。
神からの言葉を地で語ったかた。
あなたは、どこまでご存知でしたか。
天の父からどこまでを聴いていましたか。
知らなかったからこその十字架上での祈りだったのですか。知ったうえでの祈りでしたか。
ひととして世に遣わされたあなたは、未来をどこまでご存知だったのでしょう。
あなたから使命を賜わった裏切り者は、あなたの意図を、運命を、知っていたのでしょうか。
それともひとり天の神のみが?
未来を語るのは予言。
神の言葉を語るなら預言。
地上に予言者のいたことなどあるのでしょうか。
師よ。
未来を記憶するのは天なるかたのみなのですか。
あなたと逢ったとき、わたしはすべての物語を知った気すらしたのに。
わたしは歴史に埋没するでしょう。
裏切り者を羨みながら。
2/12/2025, 10:43:59 AM