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 だいたい 2ヶ月に一回くらいのペースで、国際郵便で封筒が届く。友人のひとりの仕業である。
 バックパッカーの友人は、3年ほど前から世界じゅうを旅して回っている。元々は大学の同期だったのだが、教授に付いてインドに行ったっきり大学を辞めて帰ってこなくなった。もともと旅好きの気があったから、当時もああやっぱりか、という気持ちの方が大きかったのを覚えている。いまのところ、彼女が帰る予定はない。
 封筒には、たいてい近況を報告する短い手紙と現地で撮った写真が入っている。友人は別に写真好きというわけじゃない。いくつか前の手紙で「何か送って欲しいものある?」と聞かれたので、「現像した写真が欲しい」と私がリクエストした。彼女はそれを守って送ってくれているのである。写真はいくらあってもかさばらないし、実際に景色を見てる気分になれるから好きだ。
 今回のは山の写真だった。背の高い針葉樹がそこかしこに生えていて、上の方はちょっと雪を被っている。山は剣みたいに尖っていて、日本のなだらかな山とは全く違う装いだ。写真の裏にはヨセミテと書いてあった。どこだそれ。スマホで検索したら、アメリカの方にあるらしい。
 私は写真をベッド横のコルクボードに刺した。友人から貰った写真は最新のものをここに飾って、古いのはファイリングして本棚にしまっている。ちなみに友人は写真が下手だ。画面に対して被写体が斜めになっていたり、写り切っていなかったり、ひどい時はぶれていたりする。今回のは山のてっぺんが画角からはみ出して見えなかった。自撮りをしようとして失敗したのだろう。取り直しをせずそのまま送ってくるあたりが彼女らしいと思う。ものぐさというか、せっかちなのである。自分の興味が向かないことに対して、彼女は驚くぐらいに淡白だ。
 そんなやる気のない写真だが、私は毎度これを楽しみにしていた。好きでもない作業を私のために律儀にこなしてくれていると思うとむず痒いけど嬉しいし、何よりこうやって眺めていると、彼女の目から向こうの景色を見ているみたいな感覚になる。世界を飛び回る彼女の経験をお裾分けして貰っているみたいな。
 自分の知らない土地に想いを馳せるうちに、彼女みたいに知らない土地を旅したくなることはたまにある。身体がうずいて、突発的に車を走らせてみたりすることもある。
 けれども同時に、私はベッドに寝そべりながら写真を眺めるいまにほっとする。日本のこの街の大地に立っていることに対して、それはそれで安心と喜びを感じるのだ。友人が自由であることをいちばんにしているように、私にとっては根をはって生きる場所があることが大事なのだと思う。
 ベッドで寝返りを打ちながら便箋の方を開く。ヨセミテは寒いけど良いところだよ。自然は綺麗だし初心者にも優しい。クマとかコヨーテも出るんだって。私はアライグマしか見られなかった。
 友人の視点から脈絡なく綴られる旅の記録は楽しかった。最後まで読み終えたあと、少し考えて、私はメッセージアプリを開いた。友人のトーク履歴はずいぶん下の方にある。あんまり連絡がまめな方ではないのを知っていたので、最近はこちらから連絡を取ることをしていなかった。
 でも、たまには良いか。トーク画面を開いて文章を打ち込んでいく。手紙の感想と、あと、ちょっと迷ったけど、私の近況も添えた。前から気になっていたパン屋に行ったというだけの話だ。パンの写真も送った。パンは色んなキャラクターの形があって可愛かった。
 私が友人を通して世界の景色を見ているみたいに、彼女も私の日常を楽しんでくれたら嬉しいな、なんて。
 既読は直ぐについた。
 『知らないパン屋!帰ったら案内して』
 なんだかじわじわ嬉しくなって、私は布団を被って笑い声を噛み殺した。

(終わりなき旅)




5/30/2024, 3:11:28 PM