聞こえていますでしょうか。エエ、私でございます。貴方様の忠実な僕でございます。
おお、我らが神よ。貴方様にこの声が届いているかどうか、誠に残念ながら私には確認する術がございません。しかしどうかお聞きでございますれば、この哀れな一人の人間の懺悔を聞き届けてくださいませ。
私は比較的裕福と呼べる家に生まれました。両親が熱心な読書家でありまして、そこには非常に大量の本がまるで小規模の図書館のように連なるほどでございました。かく言う私にもその趣味が遺伝したのか、両親に負けじ劣らず様々な分野の本をひたすらに読み漁っておりました。
幸いなことに私は頭の出来が良い方であった様で、どんなに難しい内容であろうと内容を理解し、記憶する事が出来たのでした。そんな私を両親は神童と持て囃し、都会の大学に進学させていただいたのです。
その時点で私には二つの夢がございました。一つは純粋なる知的好奇心、もっと色んな事を学びたいという欲でございます。
しかし二つ目、こちらの方が私にとってはより重要でした。私は、私自身が不遜にも、貴方様の存在の正しさを証明したかったのです。
非常に悲しい事に、貴方様の事を信じない者、別の存在を神様だと崇める見当違い甚だしき者というものがこの世には数多くのさばっております。私はそういった人間に負けたくはなかった。いえ、違いますね。正しき神を信仰する私がどうして不敬なる者どもに負ける道理がございましょうか。
貴方様にとっては迷惑な試みであったのやもしれません。ですがこれが過去の私にとっての信仰心の証明だったのです。これしか持ち合わせていなかったのです。
大学に進学してからというものの、家の図書館など比にならないほどにそれはそれは多くのことを学ぶことが出来ました。様々な学問分野に手を出してはその手の一流にも比肩するほどまで学び尽くし、新たな成果すらを出す私に対し、ヤレ万能だ、天才だと持て囃す声がございました。それ自体は別に良かったのです。元より私にとって貴方様の存在が全てであって、他の人間の事はどうでも良かったのです。
しかし、それでも看過できない事態になったのは、私が大学を卒業し、そのまま研究者となってしばらく月日が経った時でした。破竹の勢いで様々な研究成果を生み出していた私に対し、まるで神様のようだと宣う者が現れたのです。こんな不敬な事がございましょうか。神は貴方様一人であり、ましてや私など、どうしてここまで人は節目になれるものかと思っておりました。
ですが、そうした私の考えとは裏腹に1人、また2人と私の事を現代の現人神の様に考える者が増えていきました。到底許せる事ではございませんでしたから、やめる様にも訴えたのですが、ああ、人間1人とはなんたる無力なのでしょうか、その勢いが収まる事はなかったのです。
私の夢は貴方様の存在の証明、私という人間の存在を用いてそれを成し遂げたかっただけでした。しかし、私のことを神様などと宣う人間は止まりません。ついに我慢の限界になった私は全てを投げ出して、この懺悔室に漸く辿り着いたのです。
お願いいたします、神様。私はずっと自己中心的な人間でございました。不遜にも貴方様の役に立ちたいなどと愚かな願いを抱き、そして貴方様に使える僕に過ぎない一人間でありながら、他の人間に神と呼ばれてしまった事。そして今この懺悔の中でさえ、貴方様の手で、私を罰していただきたいとすら考えているのです。ああ、不敬なる私を殺してください。どうか、どうか。いや、貴方様の手を煩わせるなどと、許せない自分もいるのです。
もう自分でも何をすればいいのか分からないのです。私はどうしたらいいのでしょうか。どうすれば良かったのでしょうか。どうか教えてください。ああ。
どうして何も仰ってくれないのですか、神様。
4/15/2023, 1:44:42 AM